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ネパールに戻る
2008.08.10 Sunday
![]() カトマンドゥの朝食 毎朝通っていたチャイ屋での、私の朝食。 モチモチで、少し塩の効いたクロワッサンとチャイ。 この朝食セット(?)で14円。 インドから戻って5日間ネパール滞在で、帰国。 5日も必要ないよな、、、と思っていたけど、何事もスムーズに運ばないのがこちらのお国柄。 預けていたクリスタルをピックアップしてオーダーしていたアクセサリーのチェック。 仕入れ先の人とビジネスランチをしたり、そうそう、 クリスタルの梱包だってしなきゃならない。 、、、忙しいといいながら、ノーズピアスをあけてきた。 20年近く、ノーズピアスをあけたい、、、と思ってきた私。 もうちゃんとした会社勤めはするつもりはないし、思い切ってあけてみた。 4年前のインド滞在中にあけたいな、、、と思っていたのだけど、 友達がジュエリー屋であけているのを見て、ひるんだ。 銀の針金の先っぽをヤスリで研いで、尖がらして、 「ブスッ!!グイグイグイッ。グリッ」、、、こんな感じで鼻ピアス完成。 あまりにも原始的。バラナシのピアス。 それはちょっと私には無理、、、なわけで、ピアス・ガンで、バチンとあけてもらった。 耳にピアスするほうが痛かったです。鼻のほうが楽です。 穴開け代金はたったの80円なり。 経験者によると、鼻は粘膜なので、ちゃんとピアスを通してないと 耳なんかより、早く穴がふさがっちゃうよ、とのこと。 ただ後悔したこと、ひとつ。 この空気の悪いカトマンドゥでピアスをしちゃったもんだから、 鼻くそが思いっきりホレない、、、、、ということ。これ、とても不快。 朝一番でピアスをあけて、街を歩いていたら 連続してネパール人からネパール語で道を聞かれる。この日3人。 ピアスひとつで、こんなにも現地化してしまうのか??? ネパール語で道を聞かれる、、、この話を仕入先で話していたら 居合わせたネパール人に、 「あなたはネパール人というより、ビルマ顔だね。ほら、誰だっけ? フリーファイターの娘、、、、、、」 「ああ、アウンサン・スー・チー?」 ああ、旅してきて何度言われたことか。この言葉。 新宿で、ビルマ(注:今のミャンマーです)人に、ビルマ語で道を聞かれたときは 本当に、私、ビルマ系の顔立ちなのかも、、、、と思った。 数年後、ビルマに行ってみたら、 「たしかに、遺伝子的に近いかも、、、、」と確信した。 ビルマ顔と言われながらも 「おっ、鼻ピアスか。似合うぞ、似合うぞ」と褒められまくり。 帰国前日までになんとか荷造りを終えて、久々のネパール滞在も終わり。 お寺に行って、たくさんの素敵なクリスタルに出会えたことをにお礼を述べる。 「ありがとう、また戻ってきます。」 帰国当日、朝早いフライトだったのにも関わらず、ホテルのオーナーふたりが出勤してくれていた。 ありがとう、忙しいのにわざわざ。またすぐに戻ってくるから。 少しだけ、後ろ髪を引かれる思いをしつつも「また戻ってくるから」と自分に言い聞かせ、空港に向う。 出国カウンターで、係員のおじさんに 「おお、鼻ピアス。ネパール人みたいだね」と言われる。 「ネパールに住んでいるのか?」 「いいえ、ビジネスできました。」 「だんながネパール人なのか?」 「いいえ、断じてそんなことはありません」 「ネパールは好きか?」 「はい、大好きです。」、、、、ちっとも出国に関係ない質問ばかり。 パスポートにポンとスタンプを押し、ひとこと。 「また戻っておいで。いつでもウェルカムだ。 ハハハ」 ありがとう、おじさん。 また戻ってきます。 少しゆるめで、なにかと人懐っこいこの国。 インドのような刺激はないけれど、やっぱりこの国も捨てがたい。 たくさんのクリスタルと、新しい出会いに恵まれた今回の仕入れの旅。 今回はこれで終了。 ![]() ニューデリー24時間
2008.08.06 Wednesday
![]() できれば12時間以上滞在したくないデリーの目的・その1 ドーサを食すこと!! ドーサを発明したインド人にノーベル賞を。 チベットには自由を。 クレープをパリパリに焼いたような食べ物で、 サンバル(タマリンドウの入った酸味のあるソース)に 付けて、ちょっと「フニャ」としたところを食べる。 デリーに行くと、必ずこの店でドーサを食べる私。 今回はプレーン・ドーサ。 直径40センチくらいの大きさなので、 薄くてパリパリでも、結構 お腹いっぱい。 「ああ、デリーに行くのか、、、、」いつも憂鬱になるけれど、 行ってみると、結構楽しめちゃうのが不思議でしょうがない。 地球の歩き方のトラブル集とまったく同じ手口で、それも10年前と変わらぬ手口で 「列車のチケット売り場はクローズだ」 「ガバメント・ショップはこっちだ」 「シュリナガールへ行かないか?」 へ〜、そうなんだ!!と騙されたふりをして、ノコノコとインド人に付いて行く。 チャイが飲み終わったところに「やっぱり、列車のチケット要らないや」 とか言って、無料のチャイを飲みに行くのもまた楽しい。 人間、どれだけの嘘八百を並べることができるのか?それを観察するのも楽しみのひとつ。 暇な人は試してみてね、でもチャイに睡眠薬が入っていても責任持てません。 旅のすべては自己責任。 そんなデリーに24時間滞在しようと決めた目的は、ドーサを食べることと、 ラーマ・クリシュナ・ミッション(お寺)に行くこと。 ![]() インドの聖人のひとりで、日本では「聖人」と言えばサティア・サイババなんだけど、 インドでは、ラーマ・クリシュナのほうが有名。 1800年代に生きた聖人で、恐らく、私がこの世に生まれたことのある人で、 尊敬している、ふたりのうちのひとり。あと一人は仏陀。 今まで生きてきて「あの時代に生まれてくれば良かった、、、」と思うことは、2つ。 1つは、ビートルズ、オーティス・レディング、ジャニス・ジョップリンが生きていた時代に、 青春時代を迎えたかった。リアルタイムで彼らの歌を聴きたかった。 「今度の、ビートルズの新譜、いいよね」、、、なんて会話がしたかった。 そしてもうひとつは、1800年代のカルカッタに生まれてきたかった。 ラーマ・クリシュナの説法を、美しい歌声を聴いてみたかった。 、、、、そんなことを言っててもどうすることはできないのでせめてお寺に行ってみよう。 実は今回の仕入れの旅に出る直前に、ニューデリーにラーマ・クリシュナミッションがあることを知った。 それも、安宿街で有名なパハル・ガンジーの外れに。 これを知らなかったら、デリーには1泊たりともしなかったはず。 午後は4時から一般開放されていて、私が行ったときは既に10人くらいの インド人がお堂の中で静寂のときを過ごしていた。 若いカップル、家族連れ、しっかりと瞑想している人、などなど。 安宿街の喧騒の外れに、こんな静寂な空間があるなんて。 インドの良いところは、こういう静寂の中に身を置く場所がたくさんあること。 そして日本みたいに拝観料とかとらないこと。 お寺で瞑想していてもヘンな眼で見られないこと。 「神様に遭うためにお金を払わなきゃいけないなんて信じられない!」 日本の拝観料システムに憤慨していたインド人がいたな、そういえば。 私も周りのインド人に習って、ラーマ・クリシュナ像の前で、額を床につける。 本の中でしか知ることのできなかった、そして感じることのできなかったラーマ・クリシュナ。 少しだけ、近づけたと思うと、、、、ああ、やっぱり号泣。 決して大きなお堂ではないけれど、そこで瞑想していると なんだかお堂が宇宙に感じてくる。 私たちは宇宙の中の地球に住んでいるけど、宇宙には行ったこと、ない。 漆黒の宇宙の中に、ひっそりと自分がいる。 何万光年とか数字を並べられてもピンと来ないけど、 こうやってお堂の中で瞑想していると、「宇宙って、相当広いぞ」というのが なんだか実感できてしまうから不思議。 お寺の敷地内に売店があるので入ってみることにする。 英語、ヒンディー語、タミル語、ベンガル語、、、などなどに訳された書物がいっぱい。 さすがに日本語はなし。まぁ、日本語訳はどうやら日本で入手できるようなので、今回はマントラCDを買うことに。 店員さん(、、、と言っても僧侶)にお薦めを聞いてみると、 全5巻のマントラCDを見せてくれてた。これが基本だからと。 1枚200円だし、日本に戻ったら入手できなそうなので、全部買っちゃう。 帰国してこのCDを聞いてみると、5巻目が、なんだか魂持っていかれそうなほど、 「聞きながらなにかをする」なんてこと、できないほど私の意識はそのマントラだけに集中してしまう。 とても「仕事をしながら」聞き流すマントラではないよう。 「日本から来たのか?日本に支部があるよ」と、店員さんが日本支部の住所を調べてくれる。 メモって行きなさい、と。親切な人です、本当に。 ニューデリーの喧騒に疲れたら、是非、ラーマ・クリシュナミッションへ。 場所は、ニューデリー駅を背にしてパハルガンジーをひたすら歩きます。 野菜市場も通り過ぎて、もうそろそろ、大きな通りに出るな、、、と思ったころ、 左手にちょっと奥まって、メトロの駅が見えます。 その斜め向かいがラーマ・クリシュナミッションです。 観光地ではないので、あくまでも静寂のときを過ごすために。 http://www.rkmissiondel.org/ ラーマクリシュナミッション・デリーブランチのサイト(英語) 翌朝6時に起き、空港に向う。(本当に、ジャスト24時間滞在) タクシーの中で、流れる風景を見ながら「また、戻ってくるんだよな、この街」とつぶやく。 初めてインドを訪れた街もデリーだった。それも真夜中。 空港の外はオレンジの街灯が怪しい雰囲気を更に醸し出し、 地べたに人が寝ている、たくさん。「これ、映画の撮影中ですか?」 本当の本当に着たことを後悔した。この怪しげな街に飛び込まなきゃいけないの?と。 怖いものを知らないって、なんでもできちゃうんだよね、、、、、 「あなたが今日の最初のお客さんだよ」 タクシードライバーが話し掛ける。 「知っているか?その日一番のお客が女性だと一日商売がうまくいくんだ。 、、、なんだか女神を乗せているみたいだよ、ハハハ。」 ハハハ、相当口の悪い女神を乗せているね、おっちゃん。 ふと、フロントを見ると、そこにはドゥルガ女神の写真と小さな像が置いてあった。 ![]() 普通、タクシーやリキシャにはガネーシャのステッカーや、像を置かれている。 そう、ガネーシャは商売繁盛の神様だから。 ドゥルガが置かれているタクシーなんて、北インドで初めて見たぞ。 、、、もしかしたらこのおっちゃんベンガル地方出身なのかも。 それにしても、インドの最後の最後にドゥルガ女神に会えるなんて、 偶然にしても、嬉しい。、、、、また、戻ってくるよ、この地に。 7時発の飛行機で、ネパールに戻る。 戻る予定だったけど、帰りも3時間、飛行機が遅れる。 早起きできないなら、無理して飛ばさなくていいよ、飛行機 !! 最初から最後まで予定通りに進まなかった今回のインド滞在。 「自分が試される北インドも捨てがたい」、、、というのは友人の言葉。 いや、本当に。試されてばかり。 でも、試されるたびに自分の意外な側面を発見できる、インド。 すべては、自分を知るため。 アクシデントに見舞われても、病気をしても、何度も何度も訪れてしまう国。 磁場が、思いっきり私をひきつける土地。 バシスト生活・最後の日
2008.08.05 Tuesday
バシストの牛 ![]() さすがにバシストには野良牛は存在せず。 今日までの宿代を払おうと、オーナーの家を訪ねたら 「仔牛の体調が悪くて病院に連れていかないといけないので後にして。」 、、、と言われてしまう、、、、、 今晩、ナイトバスに乗って、デリーに戻る。 この後、ダラムサラに行きます、、、と言うなら気分も軽いんだろうけど、 デリーに戻ると思うと気が重い、、、魔界都市・デリー。 こんな穏やかで静寂な山の中から、明日眼が覚めたらデリーにいるなんて。 「マントラを唱えろ。喧騒を遮断してくれるから」と、Mr.ハレクリシュナ。 いろいろありがとう。Mr.ハレクリシュナ。あなたに遭えて愉しかった。 で、最後にもう1冊、本を貰う。 彼のグル(師)の写真が載っている本で、「グルがきっと守ってくれるから」と。 この本の中で興味深い挿絵があったので、ここで紹介。 ![]() 人間・生まれ変わる、の図 「いや、もう、いいっスわ。生まれ変わりは。」 今年に入ってまだ寒い冬のころ、とある瞑想中に 「喜びを味わい尽くす。悲しみを全て受け入れる。そして2度と生まれ変わらない」 こんなメッセージをキャッチした私は、本当に「もう、いいっスわ。」生まれ変わり。 「次に生まれてきても、あなたと一緒になりたい、、、」なんて、もう、いいっスわ。人生勉強。 それにしても、わかりやすい絵面ですよね、人間生まれ変わる、の図。 宿の支払いを済ませて、荷物をまとめて、まだまだ時間があるので、 最後にがっちりとヒマラヤのエナジーを感じつつ、瞑想に入る。 瞑想中、突然昔の恋人が私の心の中にやってきた。 山育ちで、とにかく山が大好きだった人。 ケンカするとよく「山猿め、とっとと山に帰れ!」と心の中で叫んだもんだ。 、、、、彼もこのヒマラヤの風景が気に入るだろうな、、、、、、 何年かぶりにこの人のことを思い出した。 突然、なにかが私の耳元で囁く。 本当の愛か、、、凄い言葉だな、、、、どんな愛なんだろう???? そうか、今の時点では想像もできないのか、、、、その時が来るまで楽しみにしていよう。 で、結局、11年ぶりにこの地に戻ってきて私を待ち構えていたのは Mr.ハレクリシュナとの出会いと、この愛についてのメッセージ。 ついでに、温泉に入るか瞑想するかマントラを唱えるか、、、、 ずーと、そんなことばかりしていたので、すっかり蓮華座が組めるようになりました。 あ、あと「なんちゃってベジタリアン」になりました、、、、、 以上が10日間の出来事。うん、充分だ。 さぁ、ネパールに戻ろう。 その前にデリーだ。 魔界都市・デリー。 でも、飛び込んでいっちゃうと結構楽しめちゃうんだよね。 さよなら、バシスト。またね。 バシスト生活・再診
2008.08.03 Sunday
「デリーに戻る前日にまた診察に来てください」
、、、、メン・ツィー・カン(チベット医学病院)のドクターに言われたので、再診。 、、、、そうか、明日でこの地を離れなくてはいけないのか、寂しいな、、、 熱は既に下がっている。腰痛は、、、、ちょっとだけ突っ張ったような違和感あり。 早速ドクターが両腕の脈を取る。 ふん、ふん、ふん、 気管支系の弱さと、抵抗力のなさ、を指摘される。(ビンゴ!) しばらくの間、薬を服用したほうがよさそうだけど、続けられる?と聞かれる。 あ、がんばります、ドクター。処方してください。 ![]() そんなわけで処方してもらった薬、45日分。 箱に入っているのはハーブティーで朝ごはんの前に飲むもの。 「ドクター、食べ物は?肉・魚・卵は食べてもいいですか?」 「うーん、いけない訳ではないけれど、、、、あなたの国にはトーフという食べ物があるわよね?」 畑のお肉・豆腐。あります、あります、日本に。 だったら、せめて服用している間はベジタリアンになっちゃおうか?ってことで。 どうせ、日本を出てから既に肉も魚も卵も食べてない。 最後に食べたのいつだっけ? 多分、機内食だな。バンコク・ネパール間の。 45日間ベジタリアン宣言。 でも、食べたくなったらどうするか? 食べちゃえ、食べちゃえ。我慢は禁物。 食べたいのに我慢して、肉食している人間を見下すベジタリアンになるくらいなら、食べちゃえ。 ![]() ここで薬を頂きます。薬の詰ったビンがずらり。 薬代、45日分で400ルピー(1000円ちょっと) *帰国して8月現在、いまだにベジタリアンな私。 とくに肉魚が食べたい、、、、とも思わず。 ああ、明日はデリーに戻るのか、、、、、寂しいな。 バシスト生活・ハレ・クリシュナ 2
2008.07.31 Thursday
![]() チベット式茹で餃子、モモ 野菜モモ、マトンモモなど種類はお店によっていろいろ 揚げモモなんてのもある 辛めのソースをつけていただく 私の大好物 朝起きて、温泉に浸かって、いつものチャイ屋で朝食を取る。 Mr.ハレ・クリシュナの朝の講義(?)は、毎回2時間近く続く。 特に入信を勧めるわけでなく、バガヴァッド・ギーター(という、ヒンドゥ教の聖典)の解釈などなど、、、、、 インドの宗教について素朴な疑問があっても周囲にそれを尋ねることのできる人がいなかったので、 Mr.ハレクリシュナが登場してくれて、本当に嬉しい。 、、、、でも英語で毎朝2時間の講義は、私の集中力が続かない、、、 だんだんと虚ろな眼になる私。そう、虚ろな人生を歩む人の、虚ろな眼のように。 「2時間も英語を聞くのは辛いだろう。理解できなくなっていると思う。 それでも構わない、今は自分が話しているエナジーだけを受け取っていればいいから。 この会話のデータは後で送るよ。(全てICレコーダーで録音している) 3ヵ月後、1年、いや、もっと時間は掛かるかもしれないけど、理解できるときが来るから。」 ときには、3時間でも4時間でも生徒さんの前で講義をするという。 だから話をするのはまったく苦ではないという。 、、、、、、、、苦があるのは、英語が理解できていない私のほう。 、、、こういう時に、毎回、もっと英語を勉強しておけば、、、と思う。 そしてバガヴァッド・ギーターという聖典、、、実は日本を出る直前までこの本を読んでいた私。 でも、日本に置いてきちゃった、、、、持ってくればよかったな、、、、 そうすればもっとMr.ハレクリシュナの講義が理解できたはず。 講義以外にもマントラの唱え方を教えてもらったり、本や数珠を頂いた。 ![]() 夜になると、一緒に夕ご飯を食べて、「さて、講義の内容やマントラを唱えてどうだったかな?」 という話になる。 マントラは、瞑想をしている気分になる。 呼吸に集中して頭を空っぽの状態に持っていくのに似ている。 その日の昼間に、滝を見に入って岩場でマントラを唱えてみた。 お腹の中で何かがグルグルと回るのがよくわかる。 Mr.ハレクリシュナも「うん、わかる。自分も時々そうなるよ」と。 ある日の夕食のとき、「結婚はしているのか?」という話になる。 Mr.ハレクリシュナがプライベートのことを聞いてくるのは珍しいこと。 私:「いや、シングル(独身)だ」 ハレ:「そうか、離婚か」 私:「いや、離婚はしてない、独身だ」 ハレ:「まだ手続きが終わっていないということか?」 、、、、???どうやら私の英語に問題があるようだ。 私:「いや、生まれてきてから結婚したことはない。だから離婚もしたことがない。」 「それはどういうことだ????」 、、、、なぜこんなに驚かれなきゃならないのか、、、こっちがびっくり。 30後半で独身なんて、いっぱいいる、今の時代。 それに、アメリカ人に驚かれるってのが、びっくり。インド人ならわかるけど。 ハレ:「そうだ、わかった。お前、クリシュナと結婚しろ。」 私:「NO!!!!イヤだよ、そんなの!!」 神様と結婚しろって、、、、それはないだろう、、、、、 何処の役所に結婚届けを出すの?デリーの役所?寺院? インド住民権はもらえちゃうの?????(、、、それならいいな、、、、) 大体、クリシュナは神様だけど、美しいプレイ・ボーイだ。イヤだよ、そんなの。 ぶっ飛んだこと、言う人だな、、、、と思ったのだけど、 このバシストの後、デリーに行って、オートリキシャの運転手と 「結婚しているのか?」「いや、していない」、、、このお決まりの会話のあと、 「、、、マダムは、今生では人間の夫を娶らないのですね、神様と結婚するんですね、、、、」 、、、、と言われてしまう。 どうやら、適齢期を過ぎた女性は、神様と結婚することになっているらしい、、、インドでは。 このMr.ハレクリシュナは、とにかく人の眼をしっかりと見て話すひと。 そう、私の人生で何人かこうやって眼をしっかりと見る人に出会ってきた。 それは恋人同志が蜜月に、「、、、愛しているよ、、、」という見つめ合いではなく しっかりと眼を見ているうちに、その眼の更に奥にある何かを見ている、、、、 そんな感じの眼の見かた。 私もMr.ハレクリシュナの眼の奥をじっと見て話す。 今回インド行きを決めた時点では南インドに行く予定だった。 でも、ネパールから南インドへは飛行機を使っても、時間が掛かる。 10日間ではちょっときつい。それで北インド、マナリに行くことにした。 マナリにもう一度行こう、、、と決めたときから ずっと、夢や瞑想の中で「神に仕える人と出会う」イメージが付きまとっていた。 出発直前まで。 夢の中では、色々なバージョンがあるのだけど、 基本的には、「神に仕える人」と出会って、give and take をする、、、というもの。 で、発熱・腰痛で苦しんでいたこのバシストでの瞑想でも「神に仕える人」 というキーワードが出てきた。 ああ、この人のことなんだ。Mr.ハレクリシュナ。 ちゃんと、出会えちゃったわけね。 バシスト生活・ハレ・クリシュナ
2008.07.28 Monday
![]() スパイス、卵、酸味のあるものはダメ、、、、、 と、お医者さんに言われた私の、バシストでのランチ。 スパイスの入っていない、シンプルで野菜の味が引き立つスープ。 素朴なチベタン・ブレッド(チベット風パン) そしてチャイ。 3品で40ルピー。100円ちょっと。 熱もなんとか下がりました、しかし頑固な腰痛は消えず。 レストランで合い席になった日本人のお兄ちゃんに 「姿勢、いいっすね。ヨガでもやってるんですか?」と聞かれる。 いや、ヨガもできないほど背中が痛くて、こんな姿勢なんです、、、、、 朝5時に温泉に入る。病院でもらった薬を飲む。 歩くことはできるので、日中フラフラして、夕方にまた温泉、、、、、 湯治だよな、これ。インドで湯治。 バシストにきてから、道端で本を売っている白人の女性をよく見かけていた。 「クリシュナの本です、スピリチュアルブックです、、、、、」 クリシュナとはインドの神様。 ![]() 男前でプレイ・ボーイな神様です ふ〜ん、でもなんで白人の女性が道端で売っているんだ?ハレ・クリシュナの信者さんかな? ある日、その青空本屋さんで足を止めてみた。 「クリシュナの本は読んだこと、あるか?」 いつもの白人女性の隣に、今日は白人のおじさんが座っている。 「うん、本の名前は忘れちゃったけど、読んだことあるよ。」 2.3、このおじさんに質問をすると、 「よし、クリシュナについて教えてあげるよ、英語は話せるか?ま、いいや。 英語の勉強にもなる、アメリカ英語だけどね、ハハハ」 「ハハハ」 実は私、アメリカ人と英語で会話をしたことがない。 なぜかというと、アメリカに行ったことないし、 旅先で知り合いになったアメリカ人はなぜか日本語ペラペラだったから。 アメリカ人とはじめて英語で話す、、、、ハリウッド映画と同じ英語を話すんだな、本当に。 (このおじさん、西海岸出身) (おじさん呼ばわりするのも失礼なので、Mr.ハレ・クリシュナと呼ぶことにしよう、、、、だって私もおばさん。。。。) 「今晩7時にお寺の境内においで。毎晩、境内でバジャンをしているんだ、、、、」 バジャンとは、神様への賛歌。 踊って歌って太鼓やベルを鳴らし、神様を称える。 で、今晩のバジャンの参加者は、Mr.ハレ・クリシュナと本を売っていた女性と私。 太鼓を鳴らし、ベルを鳴らし、 バジャンが始まる。 参拝客のインド人がいっぱいいる境内なんだけど、「外国人がなんかやっているよ」と 通りすぎる人もいるし、立ち止まって手拍子をする人もいる。一緒にバジャンに参加する人もいる。 インドって凄いな、と思うことは、神様を称える人、仕える人、ここはクリシュナ寺院ではないけど、 バジャンを始めても、それが外国人であっても、、、、すんなりと受け入れるところ。 神様が本当に生きているんだな、と思う。 ちなみに、バシストの後、デリーでカトマンドゥでベルを買おうと思って、 1つ1つ音を鳴らしてチェックする。 ついでだから、「ハレ・クリシュナ〜」と歌ってみる。 そうするとお店の人もノッてくる。まわりのお客も一緒に歌い出す。 「おっ、ハレ・クリシュナだね!」ってな感じで。 約1時間でバジャンは終了。 「毎朝、自分は温泉の後にあそこのチャイ屋で朝食を取る。 気が向いたらおいで。クリシュナについて教えてあげるよ」 「そして毎晩7時にこの場所でバジャンだから」 うん、ありがとう。気が向いたら行くよ、、、、、、 そう言って別れる。 さぁ、私も夕ご飯を食べよう、、、、どこのレストランがいいかな???? 「これから飯か?美味しいベジタリアン・レストランがあるから一緒にいかないか?」 振り向くと、先ほどのMr.ハレ・クリシュナ。 朝温泉に入って、チャイ屋でMr.ハレ・クリシュナの講義を聴き、 夜の7時にバジャンに参加して、一緒に夕ご飯を食べる、、、、、 この生活が、バシスト最後の日まで続くことになる。 ![]() 「バスターミナルまでお願い」とリキシャに頼んだら 連れて来られた、マナリのプライベート・バスターミナル。 放牧中のロバ・牛、野良犬多数。 、、、「ターミナル」とは呼べないだろう、、、こんな場所。 バシスト生活・3つのキーワード
2008.07.24 Thursday
![]() 毎朝、私の部屋にやって来る野良犬。 朝の2度寝をしているど、ドアをカリカリ引っ掻いたり、 身体をぶつけて「開けろよ!」と主張する。 ドアを開けてあげると、部屋のゴミ箱をあさり、 なぜか私が鼻をかんだちり紙だけを食べて帰る。 この宿の出入り口は、非常階段のような裏階段しかないのに、 毎朝、この野良は部屋に登ってくる。 発熱・腰痛が始まって2日目の夜明け前、熱が最高潮に達する。 体育座りで睡眠を取るのもこれが2晩目。、、、もう限界です、、、、、 雨季で肌寒い夜明け前。部屋の中はなんだか蒸している。 そう、発熱者1名がお部屋を暖めているから。 「外の、冷たい空気に当たろう、、、、、」ベランダに出る。 ひんやりとした風が、心地いい。 夜明け前のヒマラヤもいいもんだ。 毎朝、このベランダで瞑想をしているのだけど、 少し時間は早いけど、いつものポジションに座り、瞑想を始める。 「腰痛がひどくて、座禅が組めるのか?」 答えは「YES」 腰を曲げなくて済む、座禅のほうが楽。 瞬時に、静寂の時の中に入り込む。 (以前、このブログで「瞑想を始めるとき、まず呼吸のリズムを掴む」と書いたけれど(参照:瞑想のこと) 自然の中で、自分に合った場所で瞑想をする場合、リズムを掴む必要は全然なくて、最初のひと呼吸からす〜と、瞑想の呼吸に入ることができるのです。) 頬に当たる、ヒマラヤの風が心地いい。 どこくらいの時間が経ったのか?周りの空気が変わり始める。 野鳥が囀り、羽ばたく。 眼を開いてみると、、、、私は朝焼けに染まるヒマラヤの山と向き合っていた。 ![]() 野鳥が、すずめが、空を舞う。 私の傍らには、毎日遊びに来る野良犬が、身体を丸めて眠っている。 調和。 なんて美しいんだろう、、、、、 あまりの美しさに涙が、熱のせいで鼻水が。 次の瞬間、私の奥深い、身体の底から3つの言葉は湧き上がってきた。 「これ以上、どんな命も奪わない」 「最後に、腰の解放」 「神様に仕える人」 ◆どんな命も奪わない、、、、 今まで人は殺したことないよ、私。 ゴキブリとか、蚊とか、退治しちゃって当たり前、、、の命のことかな? 食べ物かな?肉、さかな。 でも、菜食主義になったからと言っても、「植物」の命は日々頂くことになるわけで、、、、 ◆腰の解放、、、、、 この、腰痛のこと?これの、何が、「最後」なんだろう? 万年偏頭痛の私にとって、最後に来て欲しいのは「頭痛からの解放」なのではないかな? ◆神様に仕える人 これ、知っている!!(このことについては、後日ブログで書きます) 、、、、、なんだかよくわからないけど、どうも啓示のような言葉だな。 そのうち、わかるから 心地よい風が頬に当たった瞬間、そんな言葉が湧いてきて インド滞在中の、最高の瞑想が終わる。 バシスト生活・再び、チベット医学
2008.07.23 Wednesday
![]() 再びお世話になったチベット医学。 チベット医学病院のことを、メン・ツィー・カン(men-tsee-khang)という。 今回お世話になったマナリのゴンパ・ロードにあるメン・ツィー・カン。 ヨガの先生から薬をもらって服用したけど、微熱はまだ続く。 相変わらず腰が痛い、、、、、 ヨガ教室に挨拶にいくと「う〜ん、やっぱりちゃんと病院に行ってきなさい」とのこと。 以前、ネパールでお世話になったチベット医学(参照ブログ:チベット医学) 今回も、インドでお世話になるとにする。 、、、、バスが止まっても、病気になってもお世話になるのはチベット、、、、 普通の民家に診察室を作りました、、、といった感じの病院。 待合室には「脈診ですので、腕時計・貴金属は外してください」と注意書き。 若い女の先生です。 「どうしましたか?」 「急に、熱と腰痛に襲われました、、、、、ドラッグはやってません」 (ドラッグで有名な国や土地で具合が悪くなって病院に行くと 必ずドクターに”ドラッグはやってますか?”と聞かれるので、先に言っておく) 私の両腕と取って、じっくりと脈を診る先生。 「、、、、、衰弱している、、、、、、」 はい、弱っています、私。なのでここにたどり着きました。 ついでにあと1週間内にネパールに戻らなきゃいけないので、弱ってます。 「昼夜逆転してます。昼間はできるだけ起きていなさい」 その他、食欲、排出物の具合などなどを聞かれる。 「あと何日、ここに滞在しますか?」 「一週間以内にはネパールに戻る予定です。」 「出発の前日、ここにまた来ることができますか?」 来ます、来ます、この症状治るなら。12時間バスに乗る体力が回復するなら。 「それでは、出発の前日に必ず再診するということで薬を処方します。 そして、食べ物。酸味のあるもの、、、レモンやお酢・冷たい食べ物・卵・スパイスは控えてください。腰痛には、塗り薬を処方します。」 そんなことで、薬を数日分もらう。それがこれ。 ![]() ここの病院はカルテつき。(緑のノートブックがそれ) で、カルテの中身を見てみると、、、、、 ![]() チベット語の読める方、ご一報を。 アレルギーの項目に、食べてはいけないものと説明されてたことが書いてある。 これに、腰痛の痛み止めバームとマッサージオイルをもらう。 ![]() 飲み薬は1日3回。こんな大きさ。 ![]() 艶を失ったレッド・ジャスパーって感じでしょうか? これでいくら払ったっけ???覚えてないけど、500円も払っていないような。 バシストに戻って行き付けのチベットレストランに顔を出す。 「チベットの薬はゆっくり効くから、西洋の薬飲んたほうがいいよ。 ジャパニーズ・メディスンは最高でしょ?」、、、とチベット人に言われてしまう。 前回のネパールの時といい、本当に私、やばいかも、、、という症状のとき、 なぜかそばにいる人に、チベットの病院を紹介されちゃう私。 今回もヨガの先生に「行ってこい」と勧められたわけで。 、、、、再び、この苦いお薬にお世話になります。 ![]() 病院の帰りにマナリの町で購入したアンゴラのストール この地方の伝統的デザインの織物が織り込まれてます。 購入予定になかったものだけど、 熱もあるし、体を冷やしちゃいけない、、、、、 、、、と自分に言い訳して購入。 軽くて、暖かい!! バシスト生活・でも発熱と腰痛
2008.07.21 Monday
初日に泊まった宿があまりにもうるさかったので、、、、、
、、、と言っても、お寺から24時間流れている神様を称える歌なんだけど、、、 翌日、宿を変えることにする。 ![]() 静かな村の中で、偶然にも見つけた宿は、看板なし、宿の名前なし、の 「知っている人だけ辿りついてね」的な宿だった。 3階のフロアーに、ダブル・ルームが3つ。共同トイレ。 そしてそのフロアーにはベランダとは呼べないくらい広ーいベランダつき。 (ベランダではなくて、ガーデンだな、あの広さは) もちろんヒマラヤもばっちり見える。 宿代1泊100ルピー(約250円)。温泉まで徒歩5分。 毎朝、5時に起きて温泉に浸かる生活が始まった。 バシスト生活の基地も見つかった。 さて、次になにをしましょうか? 同じ宿に泊まっていた日本人の女性が、ヨガを習っていたので 私も集中的にヨガでもやろうか、、、とヨガ教室の門を叩く。 朝と夕方、各2時間づつのレッスンを1週間予約する。個人レッスン。 「今日の夕方から始めよう」とヨガの先生。 ちょっとハードなヨガになりそうなので、宿に戻って、夕方までお昼寝。 、、、、なんだかちょっと熱っぽいんですけど、、、気のせいでしょうか? 寝返りを打とうとすると、身体が動かない。あれれ??? 起き上がろうとすると、腰に、背中に激痛。起き上がれない、、、あれれれ? ドウシチャッタノデショウカ?ワタシ。 やっとの思いで、起き上がってみると、やっぱり熱がある。 それより大変なのが、腰痛、、、、というか背中全体が痛い。 首も曲がらない。なんだか首から腰にかけて、コルセットを巻いたように動かない。 これじゃ、パンツも穿きかえられません、、、、、 ああ、ここまでたどり着くのに、22時間もバスに揺られたせいだ。 重いザックを背負って、座席確保のダッシュを何度もやったからだ。 ヨガのレッスンの時間がやってくる!! とりあえず、教室に行って今日のレッスンをキャンセルしないと。イテテ。 、、、、なぜだか、歩いても痛くない。ただ腰が曲げられないだけ。あと熱。 歩いても、立っていても、座っていても「やたらと姿勢の良い人」な私。 「先生、、、ここ数時間でこんなになっちゃって、今日のレッスンキャンセルしたいんです。」 「とりあえず、座れ。ちょっと身体を動かしてみよう」 、、、、、座ることもできないんです、、、、、 なんとか床に座って、でも先生はレッスンを始めちゃう。 、、、、、無理です、、、、、 なんとか動かせる身体の部分だけを動かして1時間でレッスンは終わる。 「はい、次はうつぶせになって」 、、、、、それが、一番できないことなんです、、、、、、 どうにか時間を掛けてうつぶせになると、アユルヴェーダマッサージが始まる。 このマッサージ、痛くも痒くもない。 なんだか鉄の鎧を着て、その上からマッサージをしてもらっているよう。 「ブロックが、、、、すごいな、、、、」先生がつぶやく。 マッサージの後、先生がなにやら紙の、小さな包みを持ってきた。 ああ、知ってるよ、これ。チベット医学の漢方薬でしょ?あの苦いの。 (この先生の奥さんはチベット医師の資格を持っている。ちなみにものすごーく、美人!!) 「これを2日間飲めば熱が下がるから。そしたらレッスンを再開しよう。 もし、症状が改善されないなら、マナリのメン・ツィー・カン(チベット医学の病院)に行きなさい。」 ありがとう、先生。それでは今日のレッスン代と薬代はいくらでしょうか? 「君は、ボクの生徒だから、お金は要らない。」 、、、、先生、ありがとう。熱のせいで、涙じゃなくて、鼻水が出ます、、、、 宿に戻って、横になる、、、ことができないので、ベットの上で背筋をピンと伸ばして、座る。 なにやってんだ?私。 病気になるために、インドに来たのか???? やっとたどり着いた、ヒマラヤの麓で、熱出して、腰が曲がらなくて、 半ケツ出して、マッサージ受けるって、どういうこと???? 、、、、今回、インドにお呼ばれされてなかったのかな?私。 この後、2日間、熱と腰痛に苦しむ。 今では信じられないけど、2晩、ベッドに横になることができなかった。腰痛で。 ただ、ベッドの上で、体育座りをして、うとうと寝ていた私。 どうなっちゃうの?私。1週間後にはまたバスに乗って12時間掛けて デリーに行って、それから飛行機に乗って、ネパールに戻らなきゃいけないんだから!! 絶対、インドが、私を拒んでいる!! ![]() ヨガの先生から貰った、チベット医学の飲み薬。 「良薬、口に苦し」なら、これは世界で一番の薬。 、、、どんな病気だって治るはずだ!! バシスト生活
2008.07.20 Sunday
平地に住む人々とは異なる風俗を守り続けている山地民。 その暮らしぶりも興味深く、女は手織りのウール地をピンで留めて ワンピースのように着つけ、頭をスカーフで覆う。 男は前縁をビロード地で飾った平らな丸帽子を愛用している。(略) 標高1900M。ここの山腹から硫黄泉が湧いている、、、、」 地球の歩き方より そして夏の間しか陸路移動できない、レー、ラダック地方への通過点。 、、、これがマナリの公式紹介文。 でも、世界的にマナリが有名なのは、これ。 ![]() こんなLOVE & PEACEなものが、「チョロチョロ」生息しているのではなく、 ![]() 草、ボーボー。 「アムステルダムのコーヒーショップのメニューにも、”マナリ産”ってあったよ」 という友人の証言もあるので、世界的に有名みたい。 ここまで、ボーボーボーボー、、、、と生えていると、なんでこんなものが新宿や池袋で 末端価格○○円とかで、アンダーグランドで売買されなければならないのか、不思議に思える。 道端に生えている、ただの雑草、、、だけど吸引は違法。 なんだ?それ。 ただの雑草なわけだけど、いちおう、インドでも違法です。吸引は。いちおう。 「法律は破るためにあるもの」、、、、あとは、自己責任で。 外国人も毎年捕まって、臭い飯、食べてます、、、、、このマナリ周辺で。 写真、公開しましたけど、 私、奨励してませんから。 、、、、なんだかイカガワシイ場所、、、と思う方もいるかもしれませんが、 いたって穏やかで、ピースフルで、ヒマラヤ山脈に囲まれている町。 このマナリの町から4キロほど上った村が、私が22時間も掛けてたどり着いたバシスト。 小さなヒンドゥ寺院があって、その境内に硫黄温泉が湧いていて、誰でも無料で入れる。 以前、ブログでこの村での出来事を書いたな。(参照:クリスタルとの出会い) どうしても、この場所に戻ってきたくて、今回無理やり時間を作ってやってきた。 ヒマラヤにすっぽりと囲まれて、静寂の時間を過ごす。 、、、、温泉に入りながら。 ![]() このお寺の敷地内に温泉があります。朝の5時から夜9時までオープン。 温泉浴場内はさすがに撮影できなかったけど、 モヘンジョ・ダロ遺跡とかローマ遺跡の浴場跡みたいな感じで、 日本のきっちり作られた露天風呂より、かえって趣があります。 前回訪れた時は、24時間オープンしていて、 夜中の2時になるとお湯の入れ替え。 一番キレイなお湯に浸かりたくて、ロウソク一本持って真夜中の露天風呂。 ヒマラヤの中の静寂。 たった一つの灯火の中で温泉に浸かる。 、、、、それはまったくの、異次元の世界。、、、どこの惑星? 11年前の6月、私はこの村である「声」を聞いた。 今でもその情景は、はっきりと覚えている。 この村で知り合った日本人カップルの旅人と一緒にレストランにいた。 屋上の、ローソク1本だけが灯りのテーブル席で、 30分経ったもやってこない、料理を待ちながら、おしゃべりをしていた。 「えっ?今、なんか言った?」 「いや、なにも、、、、」 絶対に、聞こえた。 それまでも感覚的な何かが私の中から湧き出てきて、それを言葉に置き換えて、会話をする、、、 ということは何度もあった。 それを「自分の中に住んでいるもう1人との会話」と呼んでいた。 でもその声は、絶対に私の「外側」から入ってきた。「世界は、愛で満ち溢れている」、と。 この言葉、今にして思えばとても重い言葉だな、、、と思えるけど、 当時の私は、「そんなこと、私にはどうでもいいことなんだけど」と受け流した。 今、この瞬間にも世界中で、大義名分の下、戦争という殺人が行われるのに、 「愛で満ち溢れている」なんて、よくそんなこと、言えたもんだよ、 、、、、誰が、私に囁いたのか、知らないけど。 、、、、、でも、心のメモ帳にちょっと書いておくよ、、、、 この言葉を聞いてからの11年間、もちろん私は「愛の宣教師」になることもなく、 旅をし、日本に出稼ぎに帰る生活をしていた。 平穏な日々だったわけでもなく、「七転び八起き」どころか 「七転び・もう起き上がれません、、、、」そんな11年間だった。 今だからわかることだけど、11年前の、6月、雨季で肌寒いこのヒマラヤの村で、 人生が動き始めたのだと思う。 決して真っ直ぐ、楽に、歩んでいたわけではないし、 「破滅への道を進んでいるのでは、、、、?」と思うこともしばしばだったけど、 まぁ、「何かが」動き始めた場所・バシスト。 で、その地に、戻ってきた私。 これから10日間、何をして過ごそうか? ひたすら山を歩くのもよし、 瞑想するのもよし、 ヨガレッスンを集中的にするのもよし 他の旅人と遊ぶのもよし ネパールで一生懸命仕入れをした自分へのご褒美。 「静寂の、山に抱かれて時を過ごす」 さて、どんなことが起こるんだろう、、、、、、、 ![]() 11年前に比べると、随分観光地化したバシスト 変わらないのは、ヒマラヤの山と、村人の笑顔 バシストの野良犬 ![]() 初日に宿泊した宿にいた野良犬。 チェック・インして、ドアを開けたら、この野良犬もチェック・イン。 美味しいクッキーで釣っても部屋から出ていく意思がなさそうなので、 仕方がなしに、一晩、ルームシェアすることに。 もちろん、宿代は私持ち。 怒涛のインド・マナリ行き 最終章
2008.07.19 Saturday
2時間で、バスは大きなバスターミナルに到着。でもここはマナリではない。
ドライバーはここで降りて、あっちのバスに乗れ、という。 またバスの乗り換えですか???私たち、「マナリ」までのチケット買ったよね???? チベット人お姉さんもドライバーに抗議。 でも、「このバスはここでお終い。あっちのバスに乗れ」 ここ、何処なのよ?バスステーションのサインボードを見る。 そして忘れていたヒンディ語がここでも読めてしまう。 「クッル」って書いてある。 そう、クルに到着、、、、でもマナリまで3,4時間の街、、、、、 「あっちのバスに乗れ」と言われたバスに乗り込む。 チベット人お姉さんが運転手になにやら説明。 「さっきのバス内で、マナリまでの通しのチケットを買った。」と言っている模様。 その間に、私のところにチケット売りのおじさんがやってくる。 「何処まで行くの?」と。 すかさずお姉さんが叫ぶ 「チケットは通しで買ったんだから、お金は払わなくていいよの!」 きっと私ひとりなら、「さっきのバスの運転手に騙されたな」と勝手に納得して、 このバスのチケット代も払っていたと思う。 、、、、払って、、、と言っても、もう1枚たりともチケットを買うお金はないんだけどね。 クルは以前、来たことのある街。 3時間でマナリに到着することも知っている。 自分が、今何処にいて、あとどのくらい時間が掛るのか、、、、 それをわかっているって、こんなにも安心するものなのね、、、、、 バスに揺られて3時間。時刻は夕方5時。 マナリにとうとう到着する。所要時間22時間なり。予定が12時間のところ、22時間なり、、、、、、、 バスを降りると、私の女神であるお姉さんが 「で、あたなこの後、どこに行くの?」と聞いてくる。 私のために、オートリキシャの交渉までしてくれる。 でも、まずは両替、、、、である。 街の中心地で両替してから、バシスト(というのが私の最終目的地)に行くから、、、、と言うと、 お姉さんは更に、リキシャマンと交渉をする。 交渉成立。 「まず、街の中心地まで行ってくれるって。そこでリキシャマン、1時間待ってくれるって。 両替だけでなく、お腹も空いているでしょ? ご飯食べて買い物して1時間後、バシストまで行ってくれるって。 70ルピー(200円弱)、、、少し高いけど、いいかな?この値段で」 チベットの女神は、最後の最後まで親切だ。 本当の本当に、チベットに自由を!!! 「いろいろ、たくさん、ありがとう。あなたのお陰でマナリまでたどり着くことができました。」感謝を述べる私。 「大変だったよね、私だってこんな目にあったの初めてよ、ハハハ。ところで、あなた、日本人?」 「YES」と答える私に、女神はニッコリ微笑む。 「have a nice trip !!」 困難な目にあうと、必ず待ち受けていたように 手を差しのばしてくれる人が現れるのが、インドの七不思議のひとつ。 捨てる神あれば、拾う神あり。 22時間の、トラブル尽くしの旅路。拾ってくれた神様はチベット人。 ===================== 余談 =============================== 今年に入ってからのチベットの惨劇で心を痛め、 「チベットに、自由を!」と、心底思い、ちっとも行動派ではなかった私が デモに参加したり、聖火リレーのときに捕まったチベット青年に手紙を出したりと行動した理由は、 「チベットという国」への憧れや、ダライラマ法王を崇拝しているから、、、、、 それが本当の理由ではない。 確かにダライラマ法王は私の中で尊敬に値する人物ではある。 、、、、でも、、、正直言って「そこまで」チベット仏教を崇拝しているわけではない。 私の心を揺り動かしたもの、、、、 それは旅先で、困ったときに、手を差し伸べてくれた何人かのチベット人の、親切心、やさしさ、、、、 言い換えれば、愛 が私の中にずっと住み続けていたから。 遠い昔に、与えてくれた愛。 その人たちが命を懸けて、叫ぶ「祖国に自由を」という言葉。 、、、、私だって一緒に叫びたくなる。 今回の旅でも、チベット人に救われた私。 マナリのチベット人街にあるお寺で、ありがとう、と手を合わせる。 そして「チベットで、チベット人が自由に暮らせますように。」と祈る。 ![]() 怒涛のインド・マナリ行き 5
2008.07.18 Friday
数時間後、バスは小さな町の、バスステーションに到着。
ここでマナリ行きのバスに乗り換えるという。 でも、なかなかマナリ行きのバスは来ない。。。。。 バスのフロントに、大きく行き先が表示されているのだけど、英語でなくヒンディー語。 もう、私を拾ってくれたお姉さんだけがたより。 30分経過。 お姉さんが「あのバスが、マナリまで行ってくれることになった。 あのバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!!」 再び荷物を背負って猛ダッシュ。 時刻は既に9時。、、、もう時間なんてどうでもいい。 バスが、私を、マナリにまで運んでくれるのなら。 、、、でも、、、バスに乗り込んで30分経過してもバスは発車しない。 正確に言うと、一度動いて、バスステーションの出口で止まったまま。 なんとなく、このバス、マナリにいかないかも、、、、という気持ちになる。 「サモサをお一つ、いかが?」 隣りの席に坐ったカルカッタのお姉さんが私にサモサを勧めてくれる。 このお姉さんは、バスチケットの半券を失くした私に、 「同じバスに乗っていたのだから、払い戻ししてあげてよ!」と援護射撃をしてくれた人。 払い戻しにしても、このあとのタクシーとの交渉にも、だんなさんでなくて、 彼女が交渉する。、、、多分、だんなさんは英語を話せない人なのかも。 そういえば、朝からチャイ以外なにも口にしていない。 、、、ありがたくサモサを頂く。 そしてカルカッタのお姉さんと、チベット人のお姉さんの会話。 カルカッタ:「ねぇ、マナリまであとどのくらい掛るの?」 チベット: 「多分、このバスが直接マナリに行ってくれればあと6時間」 カルカッタ:「まぁ、、、、、」 この会話、同じインド人同士なのに英語。よって私にも理解できる。 カルカッタ出身のお姉さんのファーストランゲージはベンガル語。 チベット人お姉さんのファーストランゲージは、チベット語、 だけど北インド出身なので、ヒンディー語も同じくらいに操る。 ファーストランゲージが違うもの同士、、、のインド人の共通ランゲージは英語なのです、、、、、 順調に行ってあと、6時間か、、、、、おやつの時間に間に合うわけね。 でも私の内なる声は囁く「このバス、マナリまで行かないよ」と。 15分経過。車内も「なんとなく、おかしいぞ」という雰囲気が漂い始める。 一度車外に出たカルカッタのお姉さんが、バスに戻ってくる。 カルカッタ:「このバス、出発しないみたい。で、タクシーの運転手を二人捕まえて交渉したの。 ひとり400ルピーでマナリまで行ってくれるって、、、」 チベット:「400ルピー、、、、それは高すぎるわよ、、、、」 私: 「そうだ、そうだ、高すぎる!!」 実はこの時の私の所持金は、払い戻しをしてもらったお金を合わせても300ルピー。 昨日の朝、デリーに着いてからまだ両替をしていなかったのである。 空港からバスターミナルまでのタクシー代とナイトバスの代金は、 前回の旅で残ったルピーで支払った。残りは100ルピー。 どうせ、「夜出発して起きたらマナリ」なのでマナリで両替すればいい。 長距離移動中は、殆んどご飯を食べない私。車酔いするから。 全財産、300ルピー。このバスの中で一番所持金の少ないのはきっと、私。 困ったな、300ルピーしかないよ。タクシーは使えない。 、、、アメリカン・エキスプレスのトラベラーズチェックならあるよ、 あと、日本円も。クレジットカードなんて、海外で100万円まで使えるんだから、、、、、 ところで、カルカッタのお姉さん、なぜ「2台のタクシー」と交渉してきたか? カルカッタのお姉さん、だんなさん、チベット人のお姉さんとその家族そして私。 あわせて8人なのである。 、、、、みんなで、マナリまで行こうよ、友よ!の親切心で交渉してくれたのです。 チベット人のお姉さんは決断した。 「このバスは、もう無理。■×△まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗ろう!」 (私の読みだと、急にマナリ行きになったこのバスに対して、地元のタクシードライバーが、 俺たちの食いブチ横取りするな!と抗議したんだと思う。 バスドライバーの周りに地元のインド人が集って、ギャーギャー騒いていたもん。) 土地勘のある、このお姉さんに異議申し立てをする者はいない。 ちょうどタイミングよく■×△行きのバスが来た。(らしい) 「あのバスに乗るの!!荷物は車内に持込んで!」 乗客、大移動。猛ダッシュ。 先頭を切るチベット人お姉さん。 この人の特技は、目的のバスに乗り込み・座席を確保すること。 で、必ず二席、確保する。 なぜか? 私たちバス難民の中に足の不自由のチベット人のおばあさんがいる。 (お姉さんの家族ではない。) このおばあさん、娘さんと思われる女性の肩を借りてやっと歩けるほど。 このおばあさんのために、お姉さんは毎回、バスを乗り換えるごとに席を取ってあげるのである。 で、余裕があると私に「あなた、あそこの席が空いている!」と教えてくれる。 たまにお姉さんから離れた席を確保している私に 「ちゃんと乗れた(坐れた)かしら?」と必ず車内で私を探してくれる。 眼が合うと、ニッコリ。 本当にいい人なのである。ああ、チベットに自由を。 、、、、このバスで、席を確保できなかったのは私だけ、、、とろい。 しょうがないので、荷物で埋る、通路に座り込む。 正面にいるインド人のおばさんと眼があう。 おばさんが後ろに向かって、なにかを叫ぶ「■×◎=−#ジャパニ!!。」 ジャパニ(日本人)それだけは聞き取れた私。 次ぎに私に向かって何かを叫ぶ。 「$$&△■!!」、、、、ヒンディ語、わかりません、、、私。 3度、おばさんは叫ぶ。乗客みんな私をじーと見つめる。 、、、私の荷物の上に坐るな!って怒っているのかな、、、、、、、 だって、しょうがないでしょう、、、、 4度めの叫びの後、どこからか英語が聞こえてきた。 「後ろの席、空いているから坐りな、って言ってるよ、この人。」 小さな、男の子の声。 怒っているように見えたこのおばさん、最後列に向かって 「この日本人が坐れないでいるから、坐らせてやってよ」と叫んでいたのです。 で、最高列に坐っていたふたりの子供を抱えたお母さんが、 子供ひとりを自分の膝の上に、もうひとりを前列に坐っていた女性に預けて (いいよ、あなたの子供、私が膝の上に乗せてあげる、、、、全く他人の女性) 私のために一人分の席を作ってくれたのです、、、、、 ありがとう、ありがとう、と言いながら、席に坐らせてもらう私。 数時間後、知らないバスステーション着。で、次のバスを見つける。 「これが最後のバスだからね」とチベット人お姉さんに励まされる。 「マナリまで!!」と言ってチケットを買う。100ルピー。 既に私の所持金はローカルバスを乗り継いだために、100ルピーを切った。 只今の時刻、お昼。あと3時間で目的地に到着する、、、、はずだよね。 怒涛のインド・マナリ行き 4
2008.07.17 Thursday
、、、、さぁ、これからが本番。怒涛のインド・マナリ行き。
来るかどうか判らないローカルバスをひたすら待つ、それしか手段のない、 取り残された、元乗客。 チャイを飲んだり、その辺をぶらついたり、「今頃、目的地に着いている時刻だよな、、、、」 諦めの悪い私はそんなことを考えながら時間を過ごす。 チャイを飲んで、元乗客の場所に戻ると、 「拾う神」であるチベット人のお姉さんが「あなた、バス代返してもらった?」と聞いてくる。 なんでも、バスは途中で止まってしまったわけなので、200ルピーだけ、 ドライバーが、その場にいた元乗客にお金を返しているらしい。 「早く運転手のところに行って!!200ルピーだよ、200ルピーを返してもらうんだよ!!」 あ、白人のお兄さんたちにも教えてあげよう、、、、、 探してみたけど、姿が見えず。ヒッチハイクに成功した模様。 一度、手元を離れたお金、そんなもの、このインドで戻ってくるのでしょうか?? でも、バスの入り口で本当に運転手が払い戻しをしている!! 「はい、チケットの半券見せて」 ソンナモノ、トックニ、ナクシチャッタワヨ、ワタシ。 チケット、、、、本当によく失くす私。 飛行場で、搭乗券だってなくしたことあるし、 免税店でパスポートを置き忘れたことだってある私。 「半券ないと、払い戻しはできないよ」、、、はい、なにも言い返すことはできません。 そんなとき、後ろから援護射撃の声が。 「この人、同じバスに乗っていた。私の前の席だったからよーく覚えている!! だから払い戻ししてあげてよ。」 声の主は、カルカッタからダンナさんとやってきたインド人のお姉さん。 (もしかしたら、新婚旅行だったかも) このお姉さんの援護射撃のお陰で、半券失くした私も、200ルピー受け取ることができた。 「200ルピー、返してもらった?」戻ってきた私に、チベット人のお姉さんが確認。 「うん、ちゃんと返してもらえました」私のその言葉にお姉さんはニッコリ。 やっと一台のローカルバスがやってきた。 「このバスに乗って!!荷物は車内に持込むこと!、、、屋根の上に乗せらちゃうの、ローカルバスだと。雨も降っているし、荷物が落っこちることもあるから」 チベット人お姉さんの合図で、荷物を背負ってバスに向けて猛ダッシュ。 、、、やっと移動ができる、、、時刻は朝の6時。 目的地到着時間に、やっと移動開始。 怒涛のインド・マナリ行き 3
2008.07.17 Thursday
「インドの1時間遅れは、日本の5分遅れ。インドの1時間遅れは、、、、」
マントラのようにこの言葉は唱える私。 6時出発のはずのバスはまだこない。 西日のジリジリ当たる、道路の片隅でナイトバスを待つ私と多数のインド人。 時刻は7時を過ぎている。 決して辛抱強いとは言えない国民性のインドだけど、 「予定通りに進まない物事についてはひたすら待つしかない」 このことに関してはとても寛容で辛抱強い。 誰も文句は言わない。西日にジリジリ焼かれながら。 昔はいつ来るか判らないバスや列車を待って、夜を明かしたもんだよ、 プラットホームで、バスターミナルの地べたで。 知っている?地べたって、太陽の熱をいっぱい溜め込んでいるから直接寝っころがっても暖かいんだよ。 もちろん夜明け前は寒くなって眼が覚めてしまう。 そうすると、近くで焚き火を起こしているインド人が「焚き火にあたれて」って手招きしてくれるんだ。 こんなハプニングも、旅のいい思い出だな、、、、、、、 、、、、そんなことを思っていられたのも20代までの話。 私はすでに30代後半。 金は払っているんだ。バス、とっととこんかい!オラ!!!! 予定時刻1時間半を過ぎて、バス到着。 チケットを見せて乗り込むと、はい、あなたはこの席、、、と言われる。 席じゃないでしょ、スリーパーでしょ?私がお金を払ったのは!! 「マダム、あなたの払ったの550ルピーは座席の値段。スリーパーではない」 、、、、一本取られました、旅行代理店に。 チケットを購入するとき、念のため「スリーパーバスだよね?」と確認した私。 答えは「YES」。 でも、スリーパーつきバスのチケットだけど、あなたにスリーパーを確保したなんて、一言も言ってませんよ。僕たち。 、、、、ただちに、旅行代理店に怒鳴り込んでもそう言われるのがオチ。 ま、ガバメントバスより気持ち安いし、このバスに乗っていれば目的地まで運んでくれるんだし、 いいか、、、、騙されたけど、ボラれた訳ではないし、、、、、、 でもエアコンつきって言ったのに、エアコンちっとも効いてないけど。 そう、野宿するよりはマシ。バスが来て、乗れたし、席はあるのだから。 これから12時間の旅。さすがに朝からの移動で疲れた私は、爆睡。 、、、、真夜中の12時ころ、眼を覚ますとバスが止まっている。 「休憩時間なの?」と他の乗客に聞くと「道が渋滞しているらしい」とのこと。 ふ〜ん、そうなんだ。再び眠りに就く。 明け方、もう一度眼を覚ます。、、、バスは「渋滞に巻きもまれた」場所から動いていない。 なんだかおかしいぞ。 ものすごい、田舎道でバスは停まったまま。 道沿いには、数軒のチャイ屋と、警察の詰め所。 とりあえずバスは動きそうにないので、青空トイレをしに外に出て 朝一番のチャイを飲む。 30分ほど外でフラフラしてからバスに戻る。 暫らくすると、知らないインド人がバスに乗り込んできてなにやら叫ぶ。 乗客が一斉に動き出す。荷物を持って、、、、、、、 ナニガオコッタノデショウカ??? ひとりのチベット人のおねぇさんを捕まえて、なにが起こったの?と聞いてみる。 「私たちの乗っているこのバス、バス会社は払うべき税金を払っていなくて、警察の検問で止められたの、 真夜中に。さっき男性が叫んでいたのは、 このバスは、これ以上先には進まないからみんな降りろって言っていたの」 バスは動かない。あとはそれぞれ頑張って自力で目的地に行ってください、健闘を祈る。 、、、、、こんな感じでしょうか????冗談じゃないよ!!!!! 乗客みんな、諦めてバスを降りる。バスの車体に書かれている電話番号をメモる人もいる。 そう、後でチケット代を返してもらうために。 、、、、で、私、どうすればいいわけよ。だいたい、ここ、どこなの??? 目的地は標高2000メートルの場所。 でも現在地の景色は、、、、まだまだ山が低い。 夜中の12時から止まっていたということは、半分の距離を走ったかどうか、、、、ってところ。 、、、、、雨も降っています、、、、、、、、 このバスで、外国人乗客は私の他に白人のお兄さんふたり。 彼らは早速、トラックを止めてヒッチハイクの交渉をしている。 他の乗客インド人たちは一斉に携帯電話を使いだす。 目的地が近い人、知り合いが近くにいる人は、助けを求めているよう。 、、、、1時間もすると、乗用車が迎えにきて、「よう、よう、大変だったな」ってな感じで、 1組、2組と消えていく、、、、、 私、こんな場所に知り合いなんていません、携帯も持っていません、 ガイドブックだって持っていません。。。。 うーん、どうすればいいのかな?私。 すると先ほど、バスが止まった理由を教えてくれたチベット人のお姉さんが 「あなた、何処まで行くの?」と声を掛けてきた。 なんと、お姉さんたち家族もマナリに帰る途中だったらしい。 「じゃぁ、一緒についてきなさいよ!」 捨てる神あれば拾う神あり。 今回の神様はチベット人。 お姉さんの話によると、とりあえずここでローカルバスが通るのを待つ。 そして◎×*という街まで行って、そこからマナリ行きのバスに乗る、、、ということ。 ◎×*までは歩いていけないの?と聞くと、余りにも遠すぎるとのこと。 ローカルバスを待ちましょう。 そして、このお姉さんについていきましょう。 それしか選択枝は残されていません。異邦人の私には。 路頭に迷う乗客 ![]() 「夜、出発して、朝になったら目的地に到着している、、、、、」 ヒンドゥの神様を信じるがごとく、ダライラマを信じるがごとく、 ブッダを、キリストを信じるがごとく、、、、、、、、 そう信じていた、路頭に迷う、元乗客たち。 左端から、同じバスに乗っていた白人のお兄ちゃん。 今回の神様、チベットのお姉さん。 男性ふたりもチベット人。 それからチベット人のおばさん。 カルカッタから来た新婚旅行の、インド人女性。 右端は任務を放棄した、私たちが乗っていたバス。 他人ごとのように余裕をコイて、 撮影している私も路頭に迷う乗客のひとり。 怒涛のインド・マナリ行き 2
2008.07.15 Tuesday
バスターミナル到着。
巨大なバスターミナルでびっくり。 インドは鉄道が発達している国だけど、レールの引けない山岳地帯などは長距離バスで移動する。 荷物預かり所で、とにかく思いザックを預け(25円ほど)、トイレで顔を洗う。、、、、 ネパールと較べると暑い。38度くらい?汗ダラダラ。 本日最初のご飯を食べることにする。 広い構内にはたくさんの定食屋さんがあって、客引きが 「ターリー、ターリー!!」と叫んでいる。(ターリーはインドの定食。勿論カレー) そのうちの1軒に入る、、、、入るといっても一軒一軒建物になっているわけではない。 良く言えばフードコート。ハエがぶんぶん飛び回って、野良犬がおこぼれを物色しているフードコート。 「アメリカン・ブレックファーストをお願い。タマゴはサニーサイドで」 、、、、、そんなのは存在しない。 メニューはターリーとサモサとチャイとジュースのみ。 、、、、本当に、インド市民のバスターミナル。 メニューは全てヒンディー語。 前日までお腹を壊していた私は、カレーなんて食べたくない。 でも、カレーしかないので、ターリーを注文、、、、するしかない。 本日初めてのお食事。、、、、、辛い!! ネパール料理は比較的マイルドな味なので、余計に辛く感じる。 ああ、インドに来たんだな、と実感する。 余りの辛さにむせていると、隣りのチベット人のおじさんが大笑い。 「ハハハ、辛いか?ハハハハ。」 「今朝、ネパールから着いたばかりなんです。デリーのカレー、辛いです。」 「そうか、オレも今朝カトマンドゥから着いたばかりだ」 なんだ、同じフライトだったのか、このおじさん、、、と思っていたら、 なんとおじさんはバスでデリーまで来たそう。 所要時間、スムーズにいって35時間。バス代3200円。 35時間のバスの旅、、、、、、それも夕方街についてそれぞれ宿を取って 翌朝、集合して再出発、、、、とかではなくて、 35時間ノンストップのバスの旅なんだそうである。 今晩のナイトバスに乗って、ふるさとのダラムサラまで帰るそうである。 「ダラムサラまでって、、、13時間くらい掛るよね?まだバスに乗るの????」 「ハハハ、バスに乗らないと帰れないからね、乗るよ、ハハハハ」 チベット人の魅力はとにかく大人でも、子供のように無邪気に笑うところ。 大声で、くったくなく、笑う。 35時間もバスになんて乗るなんて、カトマンドゥからデリーまで、 陸路という選択枝があるなんて、想像もしなかった私。 110ドル(約12000円)で1時間20分のフライト(でも3時間遅れた)だった私。 3倍以上お金払っても私は楽な道を選ぶよ!! 、、、、でも結局私もこの後、22時間もバスに揺られることになる、、、、 お腹も満たしたことだし、とにかくマナリ行きのバス停留所を探す。 ひとつだけ、タクシーのオヤジは正しいことを言った。 バスターミナルには、英語表示はない。 you are right。 表示は全てヒンディ語。アルファベット一切なし。 不思議なことに必要に迫られると、大昔に忘れたヒンディー語が読めるようになっちゃうのである。 「マ・ナ・リ、、、ここだ!!」 バスチケットを下さいと言うと、チケットは2階のチケット売り場で。 出発は夜6時、、、とのこと。(英語は通じる) 二階に上ると、チケット売り場。広い構内に、人がいっぱい寝ている。 地べたに。ハエのぶんぶん飛び交う、地べたで。 ここでもヒンディ語の「マナリ」の文字を見つけブースに直行。 、、、、でも今はお昼休み。2時になったらおいで、とのこと。 ちなみにバスはエアコンつきで600ルピー。(1600円)所要時間12時間。 夜の6時に出発して、寝ていれば翌朝には目的地に着く。 2時まで時間があるので、私もまわりのインド人に見習って、地べたに横になる。しばし仮眠。 、、、、眠れない。ハエが私の鼻の穴やまぶたに、止まる、止まる。 ハエは水分を求めて、人の粘膜(鼻の穴、眼)に集る。 ちなみに蚊に刺された所がジュクジュクしているとそこにも止まる。 「どこででも眠れる」ことが自慢の私だったけど、さすがに無理。 周りのインド人を見てみると、鼻の穴からハエが出入りしていても寝ている。 、、、、私、まだまだ修行が足りないな、、、、、と痛感。 それでも結局眠いので寝てしまう。 暫らくすると、「マダム、チケットはもう買いましたか?」という声で眼が覚める。 旅行代理店の名刺を持ったインド人が立っていた。 「絶対信用するな、デリーの旅行代理店」なんだけど、なんとなく話を聞いてみる。 (、、、、これが大失敗の元であることは、翌朝早朝知ることとなる) プライベートバスでマナリまでいかないか?という営業だった。 エアコンつきでガバメントバスより50ルピー安い550ルピー。 なんとスリーパーバス、、、、なんだそうである。 右半分は座席、左半分は寝台になっているバス、、、があるらしい。 ゆっくり横になって、翌朝起きたら目的地、、、なんて最高である。 この「スリーパー」に心を動かされ、旅行代理店でバスのチケットを買ってしまった私。 、、、、今ならわかるやっぱりデリーの旅行代理店なんて、信じちゃいけない。 でも、寝台という言葉に、ついつい乗ってしまった私だったのよ、、、、 ![]() バスターミナルでの一杯のチャイ。 怒涛のインド・マナリ行き
2008.07.14 Monday
あんなに辛かった水下痢・熱も正味2日間苦しんで、すっかりと治る。
あの苦しみが嘘のよう、、、、、 そんな訳で、10日間ほどインドに行くことにする。 朝一番のフライトでデリーに入り、そのままバスターミナルに直行して、 ナイトバスに乗り、翌日早朝にはインド側からヒマラヤを眺める、、、、 そんな予定でした。 そんな、予定でした、、、、、、 今回のインド行き、最初からつまづいた。 まず、カトマンドゥの空港で、飛行機が遅れ3時間も小さな、小さな、 とても一国の首都の空港とは思えない空港で、3時間待機する。 フライト時間はたったの1時間20分なのに、3時間待たされる。 なんとかお昼にニューデリーの空港に到着。 空港内のツーリストインフォメーションで、北部地域行きのバスターミナルの場所を確認する。 、、、ここまではよかったけど、乗ったタクシーが曲者だった。 インドを旅する人の間では有名な話なんだけど、 インドの最大の関門(洗礼)はこのデリーの空港。 正確に言うと、デリー空港から目的地(だいたいは安宿街)までのタクシー。 、、、、目的地までまっすぐ行かないタクシー。 なんだかわけのわからぬ旅行代理店に連れ込まれ、 「お前の泊ろうとしているホテルは閉鎖中」と言って他のホテルに宿泊させようとする。 もしくは、高額なツアーを組む羽目になる、、、、 この被害、10年以上前からちっとも減らない。 「そんなの、振り切ってしまえばいい、、、」そう思う人もいるかも知れない。 でもこのアクシデントが起こるのは日没後が多い。 デリー空港は24時間フライトがあるし、だいたい安いチケットは真夜中の到着。 真夜中に、土地勘のない外国人が旅行代理店に連れ込まれ、 イヤイヤ高額ツアーを組んでしまったりするのです。 お金だけ失うならまだまし。 数年前には真夜中のデリー空港の裏の空き地で、到着したばかりのヨーロッパ人女性が タクシーの中で殺されちゃった、、、、洒落にならない事件が起こった。 それも、流しのタクシーでなくて、プリペイドタクシー―――― タクシーのナンバーと、乗客の名前とパスポートナンバーをちゃんと控えてから前払いで、 均一料金で目的地まで行ってくれる安全なはずのタクシーで起こってしまった事件。 「デリー空港には魔物が住んでいる」、、、、本当にそう思う。 そんな魔物に遭遇したくないために、夕方到着便でも構わなかった私は わざわぜ早朝便でニューデリーに到着した。 幸運なことに今まで4回ほどニューデリー空港から入国しているけど この魔物に遭遇したことはない私。 でも今回初めて「まっすぐ目的地に行ってくれないタクシー」に遭遇。 タクシーのドライバーがやたらと私の目的地のバスターミナルは良くない、を連発する。 インド人用のバスターミナルなので英語表示がないから 外国人である私は目的のバスのチケットを探すのに苦労する、 ガバメントバスは良くない、ツーリスト用のバスではないから良くない、、、などなど。 「あなたの話はよーくわかりました。でも目的地に行ってください。」 あとは、無言。おやじの話に相槌も打たず。 、、、でもタクシーは目的地に行かない。 細い路地を入って、なんだか知らない建物の前に到着。 ここは、◎■〜=観光局。ここでバスのチケットが買えるから値段を聞いてこいと言う。 、、、無言。そして絶対にタクシーを降りない私。 「どうした?ツーリストバスはここから出発する。チケットもここで買えるから」 、、、、無言でオヤジをじっと見つめる。無表情で。 車中で見詰め合うふたり。 オヤジの眼が「あれ?おかしいな、、、」という表情に変わった瞬間、 「バスターミナル、プリーズ。」と、 少し強気の口調で一言。この間も絶対眼をそらさない。 「、、、、ティケ、、、(O.K)」 オヤジは諦めたらしく、タクシーは動き出す。 大体、朝から何も食べていない私はすこぶる機嫌が悪い。 ここで怒鳴り散らしてオヤジとケンカするエネルギーが勿体無い。 でも、もう一言、オヤジがプッシュしたら完全に切れていた私。(理由:お腹が空いているから) 「ガバメントバスは良くない、、、、」 「チケットを探すの困難、、、、」 100歩譲って、一人ぼっちの旅行者への親切心、、、、そんなものは今のところ、どうでもいい。 それよりインド国民、いや、デリー市民として 「魔物が住まうデリー空港」「デリーの人間の言うことは嘘ばっかり」 、、、、そんな汚名を返上する努力をしろ。 旅人への親切心はその後だ。 、、、、なんとか寄り道したけど、無事バスターミナルに到着。 でも怒涛のインドはこれから。 ネパールの洗礼・下痢
2008.07.13 Sunday
ここで私がネパールの首都・カトマンドゥでの常宿のご紹介。
タメルという、外国人旅行者の集る特別地区(?)にあるホテルに毎回宿泊。 最初にネパールを訪れたときに泊まったホテルの従業員ふたり(ネパール人)が 独立して始めたホテル。 ホテルの隣りは、銀行で両替をするのにとても便利。 (街の両替屋さんよりレートもいいし、バンクレシートも発行してくれるし) 特に仕入れの場合は10万円単位で両替するので、銀行を出て10秒でホテルに戻れるのは 安全面においてもとてもいい環境。 銀行の隣りはインターネットカフェ。ホテルから15秒。 ホテルの斜向かいは、ミネラルウォーターやタバコを売っている雑貨屋さん。 ホテルの立地条件も本当に中心部にあり、取引先へ行ったり、また 取引先の人が訪ねてくるのにとても便利です。 小さなホテルだけど、レストランもあります。 疲れて帰ってきて、外のレストランに行く元気がないとき、 病気をして、とても外食なんてできそうにないとき、 レストランがホテル内にあるって本当にありがたいことです。 そう、病気をして外食なんてできそうにないとき ほぼ仕入れが完了して気が抜けたのか、その晩から激しい水下痢と発熱。 お腹がしぶってイタイ、、、ピーーーなのではなく、 トイレに腰掛けたら、自動的にシャーーーー、、、キバル必要なし。 水を飲んだら、5秒後にシャーーーー、、、なのです。 まいったね、、、到着して間もないし、食べ物にはとても気をつけていたはず。 バナナラッシーだってまだ我慢して、チャイしか飲んでいない。 何がこんなに激しい下痢を誘発したんだろう、、、、、 とにかく、水を飲めば飲むほど、出口から出ていく体内水分。 こんな時は、サトウキビジュース、、、、ジュース屋までたどり着く元気なし。 そうだ、あれだ。アジアのどこの薬局でも売っているパウダー。 水に溶かして飲む、ポカリスエットみたいなの。 抗生剤は日本から持ってきているので、それを服用。 でも脱水症状に陥らないためには体内の電解質バランスを整えないといけない。 あのパウダー、なんていう名前だっけ?オーラルなんとかだったはず、、、、 とりあえず朝だし、フロントまで降りよう。 薬を飲むのに、お腹の中になにか入れておかないと。 それに「日本人女性旅行者A、この日まで生存確認」って証拠にもなる。 4階の部屋から、階段で降りるのが辛い、、、、 ここまで弱っちゃうのか?たった一晩で。 「グッドモーニング、元気?」 ホテルのオーナーのひとりを発見。 「昨日から下痢と熱がひどくて、、、こあたりに薬局ってあったっけ?」 「5分くらいのところにあるよ。それより、大丈夫か?」 「ちっとも大丈夫ではありません、、、、、」 彼曰く 「アヤは忙しく動きすぎ。仕事できたのはわかるけど、 たった4日前に、日本を出て、バンコクに一泊してここまで来たんでしょ? カラダは疲れているのに、ほとんとホテルの部屋にいないじゃないか。 僕たちと殆んどお喋りしていないし」 、、、確かにそうかも。 思っている以上にカラダは疲れているのかも。 それなのに、日本と同じペースで気候の違う国で走り回っていた私はバカかも。 「ま、とりあえず朝食を食べて。それから従業員をひとり、薬局まで案内させるからさ。」 、、、、ありがたい申し出ありがとう。 食欲はないけど、とりあえずヨーグルトを食べる。 食べ物を食べるって、こんなに体力を使うものなのね、、、、 たった茶碗1杯のヨーグルトを食べただけで、ドカンと疲れがでる。 フロント脇の傍でしばし、休憩、、、、 「具合、悪そうね。薬局行くんでしょ?薬を買いに?」 フロントの女性が声を掛けてくる。 「イヤ、薬は日本から持ってきた。ほら、なんだっけ?水で溶かして飲むパウダー。 下痢の時に飲むの、、、、、」 「ああ、◎×■&のこと?それだったら、今買いに行かすから待ってて!」 本当にありがたい、、、、、1袋8ルピー(約12円) それが、これ ![]() 文字の読めない人(私もネワーリー語が読めないので、そのうちの一人)のために、 イラスト付きの説明も。 ![]() 1、まずよく手を洗います。 2、コップ5杯分の水を鍋に入れます。 3、その中に1袋のパウダーを投入。 ![]() 4、幼児にはスプーンで飲ませる。 5、乳児には、、、、なんだ?おっぱい飲ませているイラストなんだけど、、、 お母さんが最初に飲んで、母乳経由で摂取か?違うよね。 早速、水に溶かして一杯飲む。 しょっぱ甘い、健康だったら絶対飲みたくない味。 でも、飲み干してみるとカラダにじんわり水分が吸収されるのがよくわかる。 5秒でトイレ直行、、、、ってことはない。 干からびていたカラダにエネルギーが戻ってきました、、、と言う感じ。 ネパール旅行中にお腹をくだしたら、絶対これ、です。 もちろん、日本からポカリスエット持参もナイス アイディア。 (味はポカリスエットのほうが断然美味しいし) 一杯飲み干して、ベッドで休息。 「トゥルルルルル、、、、」部屋の電話が鳴る。 「ハロー、、、、、」 「体調悪いって聞いたんだけど、大丈夫?」 もうひとりの、ホテルのオーナーからの電話。 「この時期は急に暑くなったり冷えたり、するからネパール人でも体調を崩しやすいんだ。 それに衛生面でも、、、、ほら、日本と全然違うでしょ? ところで、インド行きのフライト、どうする?明日のフライトなら席を取れるけど、、、、、」 そうだ、仕入れもひと段落したので10日間、インドに行こうと思って チケットを頼んでいたんだ!! 「明日は、とてもじゃないけど無理。3日後のフライトにして、、、、」 、、、、本当に3日後に治っているのか?この下痢と発熱。 ネパールでの仕入れ 3
2008.07.10 Thursday
翌日、暴動もなく約束していたお店に行ってクリスタルを見せてもらう。
籠に、箱にいっぱい詰め込まれたクリスタルを選別、、、、 、、、それでも選んだクリスタルはたいした数にはならなかった。 「家においで。もっとたくさんのクリスタルを見せてあげるから。 今からお店を閉めて、ウチに行こう!!」 本当に「もっとたくさんの」クリスタルがあるなら、やっぱり見せてもらいたい。 うん、それじゃ、お言葉に甘えて見せてもらおう。 お兄さんはお店の鍵を閉めてバイクを持ってきた。 あれ?家までは徒歩圏内じゃないの???? 「家はここから5キロくらいの場所。さぁ、後ろに乗って!!」 いざ、出発。 タメル(という、外国人観光客の集る地域)を抜けて、どんどんローカル色の強い地域に入っていく。 今まで、まったく足を踏み入れたことのない地域です、、、、 「知らない人に付いて行ってはいけません」 子供のころから親に何度も何度も言われた言葉。そしてちゃんと言いつけを守ってきた私。 私、今、知らない人のバイクの後ろに乗って、知らない人の家に行こうとしているんだけど、、、、 いい歳をして、外国で。 う〜ん、大丈夫なんだろうか?私。 15分後に到着した場所は、絶対一人ではたどり着くこのはできない一般ネパール人の住宅街。 ごく普通の門を開けると、なんだか御殿のような家がそびえ立っている。 玄関先で足を洗って(雨季なので、足が泥だらけ)家の中に入ってみると、、、 ものすごーく広い、大理石張りの床のエントランス。 二階に延びる階段は、まるでお姫様でも降りてくるかのごとく、緩やかな螺旋状で、もちろん大理石。 、、、、今まで訪ねたことのある他人様の家で一番豪華な作り。 いや、多分、この先もこれ以上りっぱなお宅拝見はないと思う。 そっか、ここはお店の経営者・ボスの家でそこにクリスタルの在庫があるわけね、、、、 「あ、こちらは僕のお母さんね。」と英語の話せないおばさんを紹介される。 お母さんって、、、、あなた、ここんちの息子なの??ボンボンなの???? 「家においで」と言われてきたのに、まだそこが彼のお家と信じていない私。 、、、、でも、どうやらボスの家ではなく、本当に彼の家、らしい、、、びっくり。 「さぁ、さぁ、2階に行って早速クリスタルを見せてあげる」 お姫様が降りてくるような階段を上り、一室に通される。 ダブルベッドだけがポツンとある、棚に少しだけクリスタルのあるお部屋。 、、、、この部屋、ベッドだけしかないんですけど、、、、、 、、、、ドアは開けたままにしておいてほしいなぁ、、、、、 こんな部屋に通されてどうするの?と素朴な疑問が浮ぶ。 「さぁ、さぁ、ゆっくりクリスタルを見てね」と、ベッドカバーをどけてみると、、、、 本当にクリスタル出現 ![]() 、、、思わず、「oh! crystal bed !!!」 と叫んでしまった私。 すごい、、、、実はこの部屋だけでなく、隣りの部屋もクリスタルで埋め尽くされていた。 「ねぇ、あなた、この家にあなたのプライベートなお部屋はあるの?」思わず聞いてしまう。 、、、、愚問です。なんたってお屋敷ですから。お部屋はたくさんあります。 これだけの量のクリスタルを持っている商人は普通、卸売りといって アソート(いろんな質のクリスタル混ぜこぜで1つ1つ選ぶことはできない)で、1キロいくら、、、 それも10キロ以上、、、、そういう売り方をする。(もちろん、1キロ当たりの値段は安くなる) でも、今回は「好きな石を選んで構わない、最低重量制限なし」という 弱小クリスタル屋である私にはとてもありがたいお言葉を頂く。 そして値段も良心的。 選べ、、、と言ってもこの膨大なクリスタルからチョイスするのは相当な時間が掛りそう (結局4時間掛った) 隣りの部屋に行ったりきたり、お兄さんにも手伝ってもらってクリスタルの選択を始める。 もちろん、私の心に響く石を、、、、、 ![]() 今回、小さな、質の良いクリスタルを選んでペンダントトップをオーダーしようと思っていた。 昨日まで、他のクリスタル屋さんで「小さくて、質のよい」ものを探していたけど なかなか数が揃わなくて困っていた。 が、ここにはいっぱいある。 選んでオーダーに出したペンダントトップは、これ。 ![]() 後日サイトでご紹介予定です。 4時間経過してやっとクリスタルの選別終了。 軽く梱包をして、再びバイクでお店に戻り、梱包を再び解いて目方を量り、 支払いをして、再び、今度は厳重に梱包、、、、我、よく働く。です。 さすがに4時間集中してのクリスタル選びは、疲れる。 でもそれに付き合ってくれたお兄さんには本当に感謝。 普通に卸売りをすれば、こんなに時間を掛けずに商売成立するはずなのに。 私を拾ってくれた神様、本当にありがとう。 たまには「知らない人」に付いていくのもいいかも。 このあと他の店で小さなクリスタルのペンダントトップ加工のオーダーをして、 ついでにジェムストーンを選んで指輪やペンダントトップをオーダーする。 これで今回の仕入れはほぼ終了ってところです。 この日はホテルに戻り、シャワーも浴びず、夕食も取らず、ベッドに倒れこむ。 なんとか予定通りに仕入れが終了して気が抜けたのか、 翌朝から激しい水下痢と発熱に襲われる。 きついぞ、この症状。 でも仕入れが終了してからの発病でよかった、、、と安心する私。 ネパールでの仕入れ 2
2008.07.09 Wednesday
さて、次なる仕入れ先に向おう。
次ぎの仕入れ先はきれいな石もジャンクな石も、混ぜこぜ・宝探しをするように 石をチョイスする(しなければならない)お店。 普通、外国人用にキレイな、グレードの高い石を店主が前もって選別して見せてくれる、、、、 このパターンなんだけど、このお店はそんなプロセス一切なし。 、、、でも時々石コロに混ざって素晴らしい石を発見できる、、、 クリスタル・ハンター冥利につきるお店。 そしてここの店主はネパール人に珍しく、口数の少ない人。 「どこの出身だ」「ネパールは何度目だ?」とかの質問をされたことない。 かと言って、無愛想なわけではない。真剣に石を選んでいる私の傍で ニコニコしながら「好きなのがあったら持っていってね、、」てな感じで、 ひたすらじーっと、選別作業を眺めている。 交わす会話は 「クリスタル、ある?」「YES」 「これ、いくら?」「◎◎△ルピー」 「ありがとう」、、、、、、こんなもの。 このお店と取引のあるインド人に「とにかく安いから」と連れていってもらったのが最初の来店だけど、 名前すら尋ねられたことがない。 ここで1時間ほどクリスタル選び。 私:「これ、いくら?」 店主:「◎◎△ルピー」 「名刺を渡すね、HPも持っているからさ、、、、」 あ、お兄さん、喋った!!「YES」と「◎◎△ルピー」以外に初めて喋った! 、、、、長年通い詰めるとこんなこともあるのか。 さてさて、まだまだ資金的に余裕があるので次のお店へ、、、、 なんと、つぶれていた、、、そのお店、、、、、 ちゃんと事前にアポイントメントを取らなかった私が悪い。 気を取り直して次ぎのお店、、、、、なぜかシャッターが閉まっている。 2日続けて、午前・午後と訪ねてもシャッターは閉まっている。 とうとう3日目に隣りのお店の人に「このクリスタル屋さん、お休みなの?」と聞いてみる。 「ああ、なんだかよく知らんけど、ずっとシャッターは閉まっているなぁ」 !!!!これにはちょっと困った。 本当に事前にアポイントメントを取るべきだった。 お店が移転したなら新しいお店の住所を教えてもらえるはずだし、 お店を閉めて自宅で卸だけやってます、、、ってパターンだってありうる。 最悪なことに、つぶれたお店も、シャッター閉まりっぱなしのお店も、 店主からもらった名刺を日本に置いてきてしまった。 う〜ん、困った、仕入れ予定の半分くらいしか石を集めていない。 どうしよう、、、これでは「仕入れ」にならない、、、、、、 確か、遠い昔に、1度だけ行ったことのあるお店を思い出した。 そこはクリスタル専門店ではないけれど、ショーウィンドウに少しだけ クリスタルが置いてあって、ふらっと入ったお店。 でも、心に響くクリスタルがなくて、「他にクリスタルある?」と聞いたら 「家に在庫がある。持ってくるから明日またおいで」と言われたお店。 、、、でも翌日からカトマンドゥでバイオレンス・ストライキ−−−−新聞にはそう書いてあったけど 私の視点で見れば、単なる暴動、、、が起きて、結局行かなかったお店。 よし、あのお店に行ってみよう!あまり期待はできないけど、、、、、 「ハロー、クリスタルはあるかな?」 陽気なお兄さんが色々とクリスタルを見せてくれる。 でも正味1時間で選んだクリスタルは数えるほど。 「明日、家から持って来るから明日おいで。でもそれより家に来い。 そうすればたくさんのクリスタルを見せてあげるから、、、、」 いくらなんでも知らない人の家にいきなり行くのはなにかと問題。 その問いかけはさらりとスルーして、明日、再来店すると約束する。 、、、、今回は暴動なんて起こりませんように、、、、、、 捨てる神あれば救う神あり 結局ここのお兄さんが私にとっての「ネパールでの救う神」となってくれた。 ![]() 近所のいろんなお店でエサを恵んでもらっているけど、 定位置はいつも、このお店の入り口。 一度、お店に早く着すぎてシャッターが開いていなかったので 一緒にお店の人が出社するのを待つことに。 ネパールでの仕入れ 1
2008.07.08 Tuesday
6月12日に久々にネパールにたどり着いた。
早速昔からの付き合いのクリスタル屋さんの家にご挨拶に行く。 このクリスタル屋さんとは10年近くの付き合いで、 初めてネパールに訪れたときに知り合った。 知り合ったと言っても彼のお店を自力で見つけた訳ではなく、 たまたま入り浸っていてインド人経営の宝石屋さんの、ネパール人従業員に連れて行ってもらった。 「そうか、アヤは宝石よりクリスタルの原石が好きなのか。じゃぁ友達を紹介してあげるよ」と。 親の代からネパールクリスタル一筋で商売していること、 「商売としてクリスタルを扱っているけれど、それ以上にクリスタルが大好きでとてもいい奴なんだ、、、、あ、別にうちの店(宝石屋)でお金なんて落とさなくてもいいよ、どうせ、僕がいくら売り上げても歩合制の給料じゃないからさ、ハハハ」、、、、本当にいい人である。本当の本当に親切心丸出し。 辿りついた場所は「お店」とは呼べない作りのお店で、絶対に一人じゃたどり着けなかったような場所。 このクリスタル屋さんにめぐり合わせてくれたネパール人(ゴビンダ、元気にしている?)には今でも本当に感謝をしている。 私はまず、ネパールに来るとまず最初にこのクリスタル屋さんでクリスタルを購入する。 そして足りない分を他のクリスタル屋さんで購入。 、、、そのくらい私の心に響くクリスタルを扱っている。 それにも増して、彼の人柄というかクリスタルに対する姿勢に共感できる数少ないクリスタル仲間のひとりでもある。 早速クリスタルを見せていただく ![]() 相変わらず美しいクリスタルを扱っている。 奥の丸いカーペットに置かれているのは10キロ以上の大物クリスタル。 ここでひたすらクリスタル選びに没頭する。 かれこれ2時間で、クリスタル選びは終了。 ネパールで一番美味しいネパール料理を作ってくれる奥さん。 ティーンエイジャーになった息子さん。 、、、時が流れるのは速い。 この息子さん、最初に会ったときはまだまだ子供で、 クリスタルで「兵隊さんごっこ」をしていた。 もうこんなに大きくなっちゃったんだ、、、、数年後、恐らく親の仕事を継いで 立派なクリスタル屋さんになっているんだろうな。 お互い歳を重ねてきたけれど、クリスタルを通しての心の繋がりは変わらない。 商売が成功して豊かになると、人が変わってしまう、、、そんな例をいっぱい見てきた。 でもこの人は昔とちっとも変わらない。、、、白髪が増えただけ。 彼は昨年、古くからのお客さんから招待を受け、ヨーロッパに行ったそう。 ヨーロッパの写真をいっぱい見せてもらう。 「ホラ、こんなに道がきれいなんだ!どうしてなんだ??」 答え:ちゃんとした工事をして、ちゃんとしたメンテナンスを定期的にするから。 「ホラ、道にゴミひとつ落ちていないんだよ、どうしたらこんな状態が保てるんだ!」 答え:決められた日に、決められた場所にゴミを捨てて、決められた日時にゴミを回収するから。 間違っても2階の窓からゴミ箱の中身を、道路に捨てないから。 そして運悪くその下を通る人が、そのゴミを浴びてしまうなんてこと、ないから。 例えば、ヨーロッパではこんなことしないから、、、、、 ![]() 毎回「なんとかならんかね、この状況」と思う。 美観的な問題もあるけど、とにかく臭いがすごい。ネパール人だってこの前を通るとき、ハンカチとかで口をふさぐ。 、、、、でもこれがないと、野良牛・野良犬(ときに猿)は生きていけない、、、 クリスタル選びも終了して、美味しいネパールご飯を御馳走になって、 ベランダに出てしばし休息。 ![]() 雨季でどんより曇ったカトマンドゥの空に、一瞬太陽が顔を出す。 彼がさりげなくつぶやく。 「やっと戻ってきましたね、あなたの場所に」 再びヒマラヤの地に戻ってきた私への、祝福のような一筋の太陽の光。 私もつぶやく。 身体の中で、ものすごいエネルギーが周り始める。 ヒマラヤの地で、浄化が始まることをこのとき、理解する。 |













































