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カトマンドゥ・グルメ
2010.06.15 Tuesday
美味しいご飯にありつける街カトマンドゥ。 ネパール料理、イタリアン、日本食、韓国料理、中華料理とバラエティーは豊か。 「インドの疲れを癒しにネパールへ」は旅人の合言葉。 日本から直接来るとそのありがたみは感じないかもしれないけど、 インドから来ると、このハイレベルな西洋料理・日本食に 思わず「ネパール万歳!」と叫びたくなる街。 インドからネパールに向うとき、 ネパールの地方からカトマンドゥに戻るとき 「さぁ、カトマンドゥで何を食べようか?」 、、、と毎回そんなことを考えながら食の聖地に戻る私です。 今回はそんなカトマンドゥグルメを少しご紹介。 タカリ料理。 ネパールの、標高の高いところにタカリ族という人々がいる。 ネパール人でも「タカリの料理は美味しいよ」と言われるタカリ族。 ![]() そば粉を練った揚げ物。 中央にあるのは山椒の効いたスパイスでこれをつけて食べる。 お酒のつまみには最高かも。 シンプルで素朴なそば粉の香りが、腹に染み渡るのよ、、、、 そんなタカリ料理屋で食べたダルバート(定食)も美味しかった。 ![]() ベジタリアンのダルバート。 スパイスのきつくないネパールのダルバートを食べると ああ、ネパールに来てよかったな、、、と毎回思う。 実はこのお店、今回初めて友達に連れて行ってもらったのだけど、 滞在中、3回も通ってしまった。本当に美味しい。 10年以上、この国に通ってネパール料理で一番美味しいのは 「取引先の奥さんが作るダルバート」なんだけど、 このタカリ族のダルバートは2位です、 レストランで食べるダルバートではナンバーワン!です。 ![]() 数年前にできたオーガニック野菜のレストランの、サラダ。 安全な生野菜を思いっきり食べたい! 、、、到着して速攻食べに出かけた。 大盛りのサラダに、マサラを一切排除したドレッシング。 麺のように見えるのはヤク・チーズ。コクがあって美味しいのよ、このチーズ。 これに、小さなピタパンがついてくる。 嗚呼、ヒマラヤの麓でこんなものが食べられるようになったなんて!! さて、ネパールの食事の、衛生面はどうなのか?と言われると、 インドほどじゃないけど、当たるときは当たる。 今回、5年ぶりにとあるネパール人に再会した。 彼は数日後に日本留学を控えたネパール人男児だったのだけど、 5年ぶりにお里帰り中で、私の常宿オーナーの友達。 久々の里帰りで、友達と飲んで食べて故郷料理を満喫していたら、 見事に腹を下していた。 「日本は清潔でしょ、5年も離れていると、、、やっぱりダメね、ネパールでお腹壊します。」とのこと。 5年前はほとんど日本語も喋れず、会話は英語だったのだけど 今回は日本語で会話をすることに。お久しぶりです、とお辞儀なんかしちゃってる。 「もしよかったら、一緒にご飯を食べに行きましょう」 「もしよかったら」ってとっても日本的。 みっちりと、日本人的コミュニケーションを身につけている。 でも、、、お腹の中も日本式に馴染んでしまったよう。 母国に戻って、母国のご飯でお腹を下す、、、、、 生まれ育ったはずのネパール人でさえもこんな感じ。 食の天国・カトマンドゥ。 魅惑の街なんだけど、やっぱり日本から直接来る場合は要注意です。 インド人、犬を洗う
2010.06.11 Friday
今回、インドに行ってみて驚いたのが ペットとして、犬を飼う人が増えたこと。 リードで繋いで朝晩散歩させている人を結構目撃した。 自分たちが食べていけるだけで精一杯、、、、、でなくなった人が増えたんだろうな。 ちゃんとシャンプーもする。 ![]() 道端で、どうなのよ?と思うけど、まぁそこはインド。 これ、2月の寒いハルドワールで見かけた光景なんだけど、 壷に入っているのはちゃんとしたお湯。冷たいガンガー・ウォーターではない。 ホットシャワーなしで、お湯は共同のタンクから汲んで 自分の部屋で「ホットバケツ」で体を洗う、、、そんなホテルに泊っていた私。 この犬といい勝負じゃん、私。野外シャワーではないけど。 ![]() デリー、カーンマーケットの、服を着た野良犬。 北インドの冬は厳しい。 路上生活者も凍死するけど、野良犬だって凍死する。 このカーンマーケットはリッチなインド人がお買い物するエリアなんだけど その敷地内を縄張りとする野良犬はお洋服を着ている。 マーケット内に募金箱があって、動物愛護がどーのこーの書いてあった。 「カーンマーケットさ、待遇がいいらしいよ。移り住みたいよね、、、」 野良犬たちが情報交換して夢を語り合っていてもおかしくなさそう。 ![]() 店の番犬?入り口の前で寝ている犬。 お客さんはこの犬をまたいで店内に入っていく。 旅の後の変化
2010.06.09 Wednesday
![]() まだまだ寒い、2月に先に帰国した妹子はとっとと次の就職先を決め、 職に付くまでの1ヶ月間、国内放浪をしていた。 最後まで腹が緩かった妹子、帰国して変な病気が発病していないか、ちょっと心配だった。 久々に妹子に会うことになり、「どうだった?インド旅行」と聞いてみる。 「ありえない国だけど、面白かった!!」 そんな妹子が3週間ぶりにバックパックを背負って帰宅してみたら、 マザーリーフ(観葉植物ね)の花が満開になっていたそう、、、、 3週間もほったらかして、水もあげなかったマザーリーフ。 だいたい、このマザーリーフってのは、なかなか花が咲かないそうだ。 そして毎回苦しむ花粉症。 「今年は花粉が少ない」と言われる年でも 1ヶ月前から薬を飲み始めていないと、生活に支障をきたす。 でも今年はなぜか、薬がまったく必要ないという。 そしてこれもなんでだかわからないけど、O脚が知らないうちに直っていたそうである。 「ほら、膝と膝がくっつくでしょ!」 あ、本当だ。膝がくっついている。 ついでに腹下しは直ったが、元来頑固な便秘が治っているそう。 「これって、インド・デトックスっていうの??」 全然関連性がなさそうなんだけど、もしかしたらインド・デトックスかも。 ![]() 太陽を手玉に取る妹子。 下痢をして野グソして手鼻をかんで。 「超えられない一線が、実は簡単に超えられた」 インド経験者のトモダチの名言。 まさに、妹子は軽々と超えた。そして懲りない。 「今度は1ヶ月、2ヶ月旅をしてみたい、、、、」 旅の途中、バックパッカーに「旅が楽しくなるのは1ヶ月過ぎたころから」と、 イロイロなところで吹き込まれた妹子。 そう、1ヶ月くらい過ぎると「旅の勘」というか、その国の空気がなんとなく読めてくる。 「2013年のクンブメーラに行きたい、、、」 難易度高いぞ、妹子よ!その前にもう少し英語を勉強しよう。 さて、私本人は?と言うと、、、、 何度も何度も何度も!インドに通っているせいか 妹子のように劇的物理的変化はなかった。 でも帰国後こころの変化というのが実によくわかる。 一段階段を登って、そこから見える景色が今までより「一段分」違って見えるような。 「赤」だと思っていたものが実は「朱色」だった、 「赤」も「朱色」も「あか」にはかわらないのだけど、 その違いがわかるようになった。 必要としていたものが、もう必要ではなくなった、 波動の高いものだと思っていたものが、思っていたよりそんなにも高くなかった。 これ、人間関係のも影響しているかも、と思う。 いろんな意味で、ココロの仕分け作業中。 そして静寂の中で聴こえる声。 多分、高いところからの声なのかもしれないけど、 「もっと高いところがあるはず」と確信する。 もしくはもっと深いところからの声。 、、、、、もちろん、「もっと」に向って進みたくなる。 「前進せよ。停留所がゴールだと勘違いするな。前進せよ」インドの聖人のことば。 至福に包まれた「ような」あの瞑想体験も、 「もっと先」があるのなら、もちろん私は前に進む。満足なんて、できない。 カニャクマリで巡礼が終り、その後はネパールで石たちと出会う。 無心で石を選んでいるときに、次の巡礼はヒマラヤだな、と感じる。 、、、、旅する口実、、、、とも言えなくもないけど。 インナー・トリップをしに、インドへ。 クリスタルと出会うためにネパールへ。 多分、このサイクルはこれからも続くんだと思う。 ![]() カルカッタで出会ったバングラディッシュ・ファミリー。 一緒にご飯を食べたり、観光したり、、、、なにかとお世話になった。 「宗教が違っても、私たちは同じ人間なのよ。」 2度に渡る国家独立、戦争、宗教対立の歴史を持つ国。 言葉の重みをずっしりと感じる。 ![]() ポンディシェリーで出会ったインド人。 朝の定食屋で合い席になり、その後海岸で私を見かけ声を掛けてくれた。 海辺の屋台でこれ食え、あれ食え、とやたらとおごってもらう。 「南インドの人間は自由を愛しているんだ」 ガンジー像の前でおじさんがつぶやいた言葉が印象的。 ポンディシェリーの日々 5
2010.05.29 Saturday
![]() 南インドではチャイよりコーヒーのほうがポピュラー。 どこか懐かしい「ミルクコーヒー」と言った感じです。 博物館近くの、シンプルなコーヒーショップ。 ゆっくりと流れる時間と、静まり返った空間。圧縮される空気。 どこよりも深い海の底に沈んでしまったかのような静寂。 それでも、遠くのほうで、どこかで音が聞こえる。 sound of silence ってこのことを言うのかな? かすかに声を聴く。 「もし、次に生まれ変わるとしたら」 「今生で手に入れることができなかったものは」 、、、もう生まれ変わるなんてまっぴらだけど、 この人生で儚くも手に入れられなかったことってなんだろう? それを来世で手に入れることができたら、生まれ変わるかな?私。 、、、、暇なんである。今日は月曜日。博物館は休みでなにもすることがない。 暇なので、そんなこと、考えちゃっている。 心の中で儚く散った夢を思い出してみる。 、、、、いまとなっては、相当どうでもいいことばかりで一人大笑い。 結局のところ、本当の私が求めていたものは、 知らない土地を彷徨い、異国の言葉の中でひとりっきりになって、自分自身と向き合うこと。 それは深海の中に沈み、音にならない音を聴くイメージに繋がる。 石で言えばアクアマリンの静寂。 そんな静寂の中に、自分が入り込むことができたとき 本当の声が聞こえてくるものなんだと思う。 ふと、私の外側に意識を向けると、私は今、静まり返った ブルーの壁に囲まれた 異国のコーヒーショップでお茶をしている。 完璧じゃないか。 ヒマラヤの麓からこの南国情緒漂う街まで、随分旅した今回。 様々な人に出会い、繋がり、瞑想し、祈り、浄化し、何かが私を貫いた。 充分だ、と私の魂は言っている。 でも私の心は物理的なゴール地点に向うことで納得しようとしている。 それでは、、、、、 ゴールテープを切ろうではないか。 カニャクマリ。最南端の街。 ここにたどり着けは、私の巡礼の旅はひとまずおしまいだ。 、、、、次の巡礼まで、ね。 ![]() コーヒーショップじゃなくて、ガレージだろ?この店!! ポンディシェリーの日々 4
2010.05.16 Sunday
インド独立運動家オーロビンド・ゴーシュは再逮捕の動きを察知し、 1910年、当時のフランス領の首都ポンディチェリーに移り住む。 既に瞑想を通し霊性への気づきを得ていた彼は この地で4年間に渡るヨーガの修行の後、 彼の周りに集まる門下生のための共同体シュリー・オーロビンド・アーシュラムをこの地に作る。 運営を任されたのは彼の霊的パートナー、フランス出身の「マザー」と呼ばれる女性。 オーロビンドの死後、彼の理念を受け継ぎマザーはポンディシェリーから 10キロほど離れた壮大な土地に理想郷、オーロビルを開設する、、、、 ポンデェシェリーが世界的に有名なのは、このオーロビル。 そしてその中心であるマトリマンディルにはビジターセンターを通して 部外者である私たちも、外観を見学することができる。 ![]() ビジターセンターから1キロほど歩く。 所々に、「空気のカーテン」のような、一歩前に進むと その場の空気の温度差がはっきりと感じられるような場所がある。 「またまた日向に(日陰)に出たのかな?」後戻りして もう一度その場所を通り過ぎると、やっぱりその場の空気が変わる。 、、、、なにがあってもおかしくないよな、理想郷。 20分ほど歩いてマトリマンディルを見渡せる場所に到着。 ![]() 巨大な瞑想のための、建物。 この建物の中心には大きなクリスタルボールがあるという。 ビジターも事前に登録すれば、この中で瞑想できるそうだが、 あいにく数日先までいっぱいで、私も数日後にはこの町から移動する。 残念だな、、、、と思っていたのだけど、 この建物を見て、今こんなところで瞑想しちゃったら、 ぶっ飛んじゃいそうだな、、、とも思う。 壮大な敷地の共同体。 同じ志を持つ、世界中の人々と、共に働き生きていく。 こんな生き方もいいかもしれない。 「どの国家にも占領されず、すべての善良で誠実な意思を持った人々が 世界市民として自由に暮らせる場所が、地球のどこかに存在するべきだ」 、、、マザーのこのことばが基本理念だそうである。 市内に戻って、オーロビンドアシュラムに行く。 理想郷オーロビルが完成される以前は、この市内のメインアシュラムが中心地だった。 靴を外に預け、軽くセキュリティチェックをしたあと、建物に入る。 写真は禁止。 中庭に、シュリ・オーロビンドーとマザーのサマディ(お墓)がある。 人々がサマディに祈りを捧げ、その周りでひっそりと瞑想をしている。 澄み切った、清い空気の流れる場所。 私も周りの人と一緒に暫し瞑想。 同じお墓も、タージマハルとはえらい違いだな。 もちろん、壮大豪華なタージマハルとは規模でいえばえらい違いだ。 でも、ここには、瞑想的なピュアな空気が流れている。 聖地。 人々が祈りを捧げ、ここに眠るふたりと繋がろうとしている場所。 あれだけ立派な大理石のお墓のタージマハルだけど、 所詮は観光地。 愛する妃のために作ったお墓が、400年近く後に 異教徒さえも入れる見世物になるなんて、想像もできなかっただろうな。 かわいそうに、、、、見物しちゃった私が言う台詞じゃないけど。 ポンディシェリーの日々 3
2010.05.12 Wednesday
![]() 花咲き乱れる南国の午後のひと時。 ごみひとつ落ちていない、美しい町並み。 1本目の木の下に、なにかが落ちている。 ![]() 落ちているのではなく、人が寝ている。 近所の人なのか?行きずりのおっさんなのか、わからず。 ![]() 一応、敷物を敷いて髪の毛を汚さないように気をつけている。 所持品らしきものを、枕代わりにしていて、 セキュリティー管理はしっかりしている模様。 午後のひと時。静かな街角で、そよ風を感じながら、お昼寝。 少しだけ、羨ましい気もする。 ポンディシェリーの日々 2
2010.05.12 Wednesday
![]() ゆっくりと時間の流れる旧フランス人居住区。 静けさの中、本当に時間ってゆっくり流れるものなんだ。 喧騒のインドでこんな場所があるなんて。 ![]() この区域の標識は「NO HORN」クラクション禁止。 トラックやオートリキシャのボディには 「PLEASE HORN!!」(クラクション鳴らしてね!)と ペインティングされているこの国で!! ![]() 海岸線沿いの道を、ゆっくり散歩するひとたち。 私も道沿いのベンチで通り過ぎる人たちを眺める。 ただただ、波の音に耳を澄ます。キュッと周りの空気が圧縮される。 自分の体の強張りが段々と抜けていく。 ああ、私、リラックスできているんだ。 ![]() なぜかインドではこの手のチャリンコ二人乗りが多い。 フレームの上にちょこん、と女の子座り。 ![]() ホーリーでやられちゃった人たち。 ポンディシェリー滞在中、ちょうどホーリー(という祭り)にぶつかった。 無礼講なこの祭り、色の付いた粉を掛け合う。 水溶性でない、この粉。 ガソリンのようなものでないと色が落ちない。 もちろん、衣服は染まる。 「ホーリー、この町でも祝うの?」とホテルの従業員に聞いたところ、 ここはクリスチャンの多い土地柄だからね、全然だよ、とのこと。 街を歩いていると「たまに」ピカソの人物画のように 色づいた人を見かけるくらいだった。 ポンディチリーの日々 1
2010.05.11 Tuesday
プドゥチェリーって聞いたことのない地名だけど。 今ではそういう地名変更になったそうです、ポンディチェリー。 、、、、、地元の人も旧名称で呼んでいる。 インド独立までの250年間フランスの植民地だった海辺の町。 フランス色の濃い、ベトナムの地方都市に来てしまったような錯覚を起こす。 町の中を走る運河を隔てて旧インド人居住区と旧フランス人居住区が はっきりと分かれています。 ![]() 旧フランス植民地といっても、しょせんはインド。 野良牛は健在です。 ![]() 街のお肉屋さんの看板。ん??????? ![]() 牛ですよね、これ。 イスラム教徒が決して口にしない豚も。 クリスチャン人口の多い街。 街中にはヒンドゥ寺院より、教会が目に付く。 、、、なのでヒンドゥ・ムスリムが決して口にしない お肉も、販売しているのか? それでもピュア・ベジタリアンレストランは充実している。 女性は生け花を、髪に飾る。 造花でなくて、生の花。 優雅な習慣だな。 ![]() 藤色のサリーに藤色のお花が美しい ![]() ![]() 黒と白の、ビビッドなパンジャビドレスに、白い花を。 、、、、明日は海岸沿いまで足を伸ばしてみよう。 南インド・チェンナイ
2010.05.06 Thursday
![]() 「インドのバイクって何人乗りなの?」 「乗れるだけ」 そんなわけで、家族全員でバイクでお出かけ。 女性はサリーを着るので、間違ってもバイクはまたがない。 オンナノコ乗り。 見ているこっちが怖い、、、、、 プリーから一晩掛けて、南インドの大都市チェンナイに到着。 チェンナイは、インド。 チェンマイは、タイ。 チェンライも、タイ。 このへんがややっこしい。 で、驚いたことに、チェンナイに着いたら、見事なまでに 現地の人が話す英語が聞き取れない私。 5日も日本人宿に居てしまったせいなのか? チケット売り場のオバサンに「you understand????」と怒られる。 そう、私は北インド(ヒンディー語圏)訛りの英語に慣れているせいで 南インド訛りの英語が聞き取れないってことが判明。 喋りはじめなんて、英語に聴こえないくらいデス。 「大丈夫、俺もまったく聞き取れてないから」 、、、とクイ〜〜〜〜ンズ・インクリッシュを話す、イギリス人旅人に慰められる。 「北インド訛りの英語だって、相当わからないぞ、俺は!」 「大丈夫、そのうち慣れてくるから」 、、、、逆に私が慰め返し。 言葉も、文字も、顔つきも、今まで知っていたはずの「インド人」ではなくなる。 ![]() チェンナイまで南下すると、ドーティーという、巻きスカートの男性が多くなる。 足が細いからね、似合うんだ、この巻きスカートが。 そんなドーティーをたくし上げているオッサンの、 色あせたチェック柄ドーティーの色合いが味があってきれい。 チェンナイの旧名称は「マドラス」。 そう、「マドラス・チェック」ってインド発なのです。 ![]() 見事なまでに八頭身のオジサン。かっこいいぞ!! 足も細くてまっすぐで、チラリとのぞく脛がある意味エロティック。 そこらへんのオッサンが当たり前のごとく、八頭身。 ここでは日本人である私はコケシ状態。 みんな顔小さいのよ。 ![]() ヒンドゥー寺院も南インド式です。 夜行列車の中で本を読んでいた私。 トイレに立って戻ってきたら、隣のおじさんが勝手に私の本を読んでいる。 「ヴィヴェーカーナンダのお弟子さんだね、この女性」 「そう、興味があって読んでいるんだ」 実はヴィヴェーカーナンダ本人の著書を読んでいたのだけど、 読めば読むほど、彼の力強い、男性的なエネルギーが伝わっていて、 正直、私にはちょっと辛い。 ちょっと辛すぎるので彼の女性弟子である、シスター・ニヴェディタの 「The Master As I Saw Him」という本を読むことに。 「ポンディシェリーに行くといいよ」おじさんが突然言う。 「オーロビルで瞑想して来るといい」 ポンデシェリーか。 チェンナイで一泊して、そのまま南下しようかと思っていたのだけど。 水先案内人のようなおじさんだな。 よし、それではポンディシェリーに行くことにしよう。 ![]() 南インドのTVでハクション大魔王を、真剣に見てしまった私。 なかなかシュールだ。 アクビちゃんも、タミル語を話す。 カルカッタの街角
2010.04.28 Wednesday
カルカッタ、カルカッタ、とずっと書いてましたが 今では「コルカタ」と呼び名が変わってます。 昭和のオンナ・私はどうしても旧名称が口に出てしまいます、、、、 ![]() 植民地時代の風情を残す建物がたくさんあります。 ベンガル地方の光と空気に落ち着く私ですが、 恐らくこんな建物があっての「落ち着き」なのかもしれません。 ![]() 2月と言っても、北インドと違ってベンガル地方はやっぱり汗ばむ。 朝早くから路上で行水する人。 道端に井戸ポンプがたくさんあって、朝から夕方まで その辺の人が行水してます。 ![]() 暇そうな人が、暇そうな野良犬をかまっています。 ガソリンスタンドの出口正面で。 はっきりいって邪魔です。 「暇そうな人」ではなく、「暇な人」です、はっきり言って。 ![]() ズタ袋にたくさん荷物を詰めて自転車。 子供のころ、明治生まれの祖父がこんな自転車に乗ってました。 ノスタルジックな自転車です。 そう、ノスタルジック。 この街の建物も車も自転車もノスタルジック。 これが私に落ち着きを与えてくれるんだろうな。 ![]() 余計なものがなにもないタクシー。 シンプル・イズ・ベスト、です。 もちろんエアコンなんて付いていません。 窓を開ければ、、、、排気ガス。 ![]() カルカッタの名物、ハウラー橋の渋滞。 この街では「急いで移動」なんて言葉はない。 時間に余裕を持って移動するしかないのです。 インドでは右ハンドル、左側通行。 前を行く車、そして私が乗っているタクシーは インド国産車アンバサダー。 デリーあたりでは、だんだんと消えていっているけど カルカッタではバリバリ現役。 ![]() 日傘を差すご婦人。 私ったら、帽子も被らず、日焼け止めも塗らず もちろん日傘なんて持ってない。 今回の旅、人生の中で一番日焼けした。 人間、ある一定の黒さまで日焼けしてしまうと その後、強い日差しを浴びても 肌がジリジリしないってことを発見。 だから余計に、日焼け対策をしなくなる。 、、、こんなこと、発見しちゃいかん。 次回は気をつけようと思う。 ワスラレナイ、アノヒト
2010.04.10 Saturday
![]() 所詮、他人の墓、、、、、 インドに通い始めて十数年。 初めて訪れたタージ・マハルにちっとも感動しない私。 750ルピー、返せ。 早朝、アグラー駅に到着。 この街は相当うざったいので、到着と同時にその日の夜行列車のチケット購入。 構内のインフォメーションセンターに行ってみると、 半日ツアー1700ルピー(3400円)ガイド付きってのがあって、 妹子と、「これで観光しちゃおうか!」ってことになる。(まったくやる気のない私) 5人以上集まればツアーが出発するというので、しばし、他のツアー希望者を待つことにする。 そこへ、一人の白人オトコが登場。 あ、この人もツアーに申し込むのかな?と思っていたら、、、、、 「タージマハル、行く。英語、ブラブラ(日本語でベラベラっていう意味)ノー! ロシア、オッケー」 (意訳:タージマハルに行きたい。英語、話せない。ロシア語なら話せる) ツーリストインフォメーションの職員が 「それでは、ツアーで行きなさい。ここの日本人(わたしたちのこと)もツアーに参加するから」 「ノー、ツアー。テイク フォト。ワンアワー、ノー」 (意訳:写真を撮りたいからツアーでタージマハルに1時間しか滞在できないのは、イヤだ) 青い目、金髪のこの人、見事に英語が話せない。 話せないのに、ツアーの値引き交渉を始める。 「ノーイングリッシュ。ロシア、オッケー」と言って、 「1700ルピーツアー」の「1」を手で覆う。 英語を理解できないからガイドはいらない。だから700ルピーにしろ(もちろん意訳) スゴイぞ、こいつ。妹子と大笑い。 その場にいたインド人スタッフも全員失笑。 、、、、言っておくけど、「インド人に失笑される」ってすごいこと。 「オートリキシャで60ルピーで行けるから、個人で行けば?」と、 スタッフがアドバイスするのだけど、「タカーイ」を連発するばかり。 オマエ、結局なにがしたいんだ?? 「ねぇ、この人、完全にK・Yだよね、、、」と妹子。 インド人に失笑されている自分にまったく気がついていない。 でも、なんだか憎めないヒト。その場の空気はまったく読めてないが 善人オーラが溢れている。 「ねぇ、60ルピーで一緒にタジマハールに行かない??」 えっ?いきなり私と妹子に振ってくる。 なんだかこの人、面白い。一緒に付いて行っちゃおうか?ってことで、 この空気の読めない白人さんと一緒にタジマハールに行くことにする私たち。 「私たち、このおにいさんとタジマハル、行くから」とスタッフの人たちに告げると、 やれやれ、やっとこのヘンな男から解放されるや、、、って感じでスタッフも一安心。 じゃぁ、行きましょうか、と席を立ったとたん、この白人さん バナナ、食べる?と、いきなりスタッフたちにバナナを配り始める。 いらねーよ、そんなもん。 最後の最後までインド人に失笑される。 それでは駅前でリキシャを拾いましょうか?と言ったら、 ねぇ、チャイ飲まない?とお兄さん。 、、、、この人、K・Yのうえに、完全なるマイペースだ。 駅構内のチャイスタンドでチャイを飲む私たち。 どこの国からきたの?と聞くと、やっぱりロシア。 ロシアのどこらへん?と聞くと。 サンストペテルブルグとウラジオストックの真ん中あたりという答え。 ![]() そんなアバウトな説明ってないだろう。 ザックの中からおもむろに、黒糖のようなインドの甘いお菓子を取り出して、 これ、食べて。という。 、、、、朝から、それもチャイと一緒に食べたくない、そんなもの。 「サイババ・アシュラムでもらったプリザート(お供物)なんだ」と。 へぇ〜。サイババのところに行ったんだ。 「うん、その前はアンマのアシュラムに行ったんだ。 4回、ダルシャン(祝福)を受けたんだよ。そのうちの1日は僕の誕生日だったんだ」 うん、それはすごい。で、どうだった?ダルシャンは? 「う〜ん、、、、なんていうか、、、、、、」 うん、うん、わかるよ。言葉では言い表せないよね、あれは。 例えロシア語でしゃべったとしても、言葉にはできないよね。 このMr.ロシア・KY・マイペースさんは、南インドのアシュラムに ずっと滞在していて、北上。あとはデリーから国へ戻る、そう。 、、、、相当な珍道中だっただろうな。 で、お供物も頂いたことだし、タジマハールに向う私たち。 途中の道から物凄くしつこいみやげ物屋売りが付いてくる、付いてくる。 フェイントのごとくそのみやげ物売りを避けて前に進む私と妹子。 でも、後ろで 「イングリッシュ・ベラベラ・ノー。ロシア・オッケー」 、、、、の声が響く、響く。 チケット売り場のところで、ロシア人ツアー客と遭遇して、 なにやら話しをしていたけど、そのツアー客さえも 話の途中で失笑していた。 、、、同じ国の人でも「笑っちゃう」くらいの人なんだ、この人。 結局、ゲートのところで、「写真を撮るから」と言ってそのまま別れてしまったけど、 Mr.ロシア・KY・マイペースさんはこの旅の中で相当なインパクトを与えてくれた。 またいつか、インドで再会したい人の一人。 ![]() Mr.ロシア・KY・マイペース ちなみに、、、、タジマハールはインドで一番入場料の高い観光スポット。 外国人は750ルピー(1500円) インド人はたったの20ルピー(40円) この差はなんなのよ?なんだけど、一応、差別化はされている。 まず、チケット購入する際、ミネラルウォーター(500ml)をもらえる。 そしてメインの建物(お墓ね)に入るときは靴を脱がなきゃいけないのだけど、 外国人には「靴カバー」が渡される。 ![]() インド人はというと、、、、 ![]() 裸足 裸足で充分です、ミネラルウォーターも外で10ルピーで買いますから。 この入場料の格差、どうにかならんかね?? 観光旅行できるインド人なんて、金持ってるわけだし。 あまりにもぼったくりすぎちゃって、やっぱりこれは文句出るよな、 よし、ミネラルウォーターでも付けちゃえ!って考えが丸見えです。 ちなみにその昔、金曜日は外国人も無料で入場できた。(今では休園日) そして入場料もインド人の倍くらいだったような気がする。 妹子は1時間もしないうちに 他人の墓みているより、そこらへんのインド人見ていたほうがよっぽどおもしろいよねっ という、この旅一番の名言を口にする。 、、、、あんたが絶対見たいって言うから来たのに。 インドと言えば、タージマハル。 タージマハルと言えば、インド。 、、、、なので「お勧めしないよ」とは言わない。 言わないけど、「2度行くもんじゃないよ」とアドバイスしたい。(誰にだ?) 、、、同じ世界遺産でもアンコールワットはもう一度行きたいけど、ね。 Mr.ロシア・KY・マイペースに出会えただけで、タジマハールはよしとしよう。 サルワール・カミーズ
2010.04.03 Saturday
パンジャビ・ドレスと言ったほうがわかりやすいけど、正式名称(?)はサルワール・カミーズ。
今では既製品もたくさん売っているけど、基本的にはマティリアル(布地)を買って テーラーで寸法を取ってオーダーする。 大体、既製品は小柄な日本人には大きすぎる、、、、、 でもどうしても、どうしても欲しくて、でもマティリアルが入手できなかったのが、これ。 ![]() チカン刺繍のカミーズ(シャツの意味。ちなみにサワールはズボンという意味) ラクナウという町はこのチカン刺繍が有名です。 ![]() 薄い布地にパッチワーク??に見えるけど裏を見てみると、、、、 ![]() 裏側からちゃんとクロスに糸を渡していて、表から見ると白く浮き上がって見える。 インドのステキなところは、こんな匠の技が息づいているところ。 前身ごろ全体に、ぎっしりと刺繍が施されています。 なので、布の薄さから比べると、結構重い。 たまたま見かけたチカン刺繍専門店で購入。 サイズもたくさんあって、私にもちょうどの大きさだった。 でも、、、、インド既製品の落とし穴はこれ。 ![]() ロックミシンで裾の始末をするとか、袋とじにするとか、そういうのは一切なし。 これだけ薄い布地、数回洗濯したら、あっという間にほどけそう。 縫製している糸だって、茶色!白の布地に、なぜ茶色の糸なのよっ! 、、、なので、インドで既製品の服を買うときは、裏側も要チェック。 私は簡単な裁縫なら自分で縫い直すので、なんとかなりそうなので、購入した。 そんなインド既製品だけど、「金出せば、いいもの買える」ことを今回発見。 ![]() RANNA GiLLという、インド人女性がデザイナーのブランド。 ミラー細工と刺繍が施された、濃紺の美しいサルワール・カミーズ。 これ、シルクです。それもみやげ物屋で売っているようなシルクとは大違いな、シルクです。 ![]() 私、着てみました ちゃんと立体裁断になっているし、脇にはファスナーも付いているし、 肩にはブラジャー通しのループもついている。 品質は日本製と同じ。インド、金出せばできるのね、、、、 これ、今回の旅の連れ・妹子が購入。 こんな小さなサイズ、インド人が着れるはずがないだろう、、、 、、、、だからセールでも売れ残っていたドレス。 妹子にぴったりなサイズ。 インド初日に見つけちゃったんだけど、 シックな色合い、そしてサイズ。この先どこに行ってもこんなの見つからないよ、と 私が激しくプッシュして購入した妹子。 帰国して、さっそく友達の結婚式に着ていったそうです。 ちなみに、白のチカン刺繍と このシルクのサルワール・カミーズのお値段の差は12倍。 えーと、このシルクのサルワール・カミーズ1着買うには ペーペーのインド警察官の月給約2か月分です。 インド人もびっくりな値段なんだけど、それでも売れているんだよね。 私たちがこのブティックにいる間、 たくさんのお金持ちなインド人がきて、買い物していたもん。 ちょうどセール中だったし。 金出せばインドでも日本並みのクオリティのものが買える。 でもそのお値段は、インドでは信じられないほどのお値段です。 旅の風景 カトマンドゥ 3
2010.03.19 Friday
![]() 靴屋と魚屋の狭間に、ニワトリ。 店主なのか?商品なのか、わからず。 旅の風景 カトマンドゥ 2
2010.03.19 Friday
![]() ここは野菜市場。 発展途上国の女性は本当によく働く。 おとこは、あまり働かない。 ![]() ねっ?なんだか暇そうでしょ。 旅の風景 カトマンドゥ 1
2010.03.19 Friday
![]() 何年も前からこの道を通るのだけれど、未だに崩壊しない建物。 鮮やかなブルー、それも年季の入ったこの色合いはとても美しい。 扉も柱も押しつぶされて、斜めっている。 ![]() このおばあちゃんも、倒れそうで倒れない。 片方の足でグッと踏ん張っている。 右にゆらゆら。左にゆらゆら。 店番はもういいから、奥で横になればいいのに。 帰国の途に
2010.03.18 Thursday
「カトマンドゥで体内マサラを抜こう」と思っていても帰国便はエア・インディア。
最後の最後にマサラを注入し、チャイでシメて先ほど日本に到着。 リムジンバスの係員に バス出発の際お見送りのお辞儀をされて 「霊柩車じゃないんだから!縁起わるっ!」と不愉快になってしまった私。 2ヶ月国を離れると、日本のハイレベルなサービスに驚いてしまう。 要領の悪いデリー空港の乗り継ぎに、最後の最後までヘロヘロになり やっと貰えた搭乗券は「40F」。 「40歳・女」これって私のことじゃん。なんかいやだなぁ、、、と思っていたら。 不愉快な座席番号だと思ったら、シートのダブルブッキングに遭遇。 私、5時間以上前からトランジットルームで待っていたんですけど。 そりゃータバコ吸っててファイナルコールぎりぎりにゲートに到着しましたけど。 それでも既に席がないってどーゆーことなのよ??この便、満席だし。 しかしここでインドの女神は微笑む。 ビジネスクラスのお席にどーぞ。と。 食事に関してはエコノミーがサーブされると思っていた。(ベジタリアンミールをリクエストしていたため) ![]() カレー2種とダル(豆カレー)、プラタに野菜サラダ、ヨーグルト、インディアンスイーツそしてブレッド。 味はso soって感じ。ちょっとした定食の味。 でもなぜか、ビジネスクラスのベジタリアンミールが出てきたのには驚いた。 ボーイング777型。 ビジネスクラスのお客様はたったの8人。 寝台シートのように足をまっすぐ伸ばして着陸の10分前まで爆睡。 いいかげんなのかちゃんとしているのかよくわからないインドの航空会社に、私に微笑みを投げかけたインドの女神に感謝。 仕入れたクリスタルは1週間ほどで日本に到着する予定です。 今月末にはご紹介できるかと思います。 インドのヴィザについて
2010.03.17 Wednesday
今年に入ってから、マルチプル6ヶ月ヴィザを取得しても、
一度他の国(例えばネパールとか)へ出国してしまうと2ヶ月間、 インドに戻ってこれない、、、、という、ちっともマルチプルではないルールに変更されてしまったインド。 情報がいろいろと錯綜していて、昨年までに取得したヴィザならO.K、いや、だめ、、、、などなど。 2ヶ月以内に再入国する場合、ネパールのインド大使館でリエントリーヴィザを取得しないといけないようです。 まず、再入国後のインド出国のエアーチケットが必要だそうです。 朝の8時からひたすら数時間、大使館でひたすら順番を待って 当日の夕方、受け取り。700インドルピーなり。 ひたすら待って待って待ち続けて、1日掛で取得できるよう。 友達は大急ぎでインド出国用のチケットを購入して11日間のトランジットヴィザを入手することができました。 私は昨年12月にヴィザを取得したので、この「2ヶ月間再入国不可」には該当しない、と聞いていたのだけど、 やっぱり必要だ、という情報も流れています。 また、該当しないにしても入国のさい、イミグレで余計な質問には答えないほうがいいよ、、、、とインドの旅行代理店、旅仲間にアドバイスされました。 そんなときはアイ キャント スピーク イングリュッシュ!と 英語のできない日本人というグローバルな認識をフルに活用しましょう。 どっぷりと沈没してたくさんお金を落としてね、の6ヶ月マルチプルヴィザだったはずのインド。 なんだかこの「どっぷり」がなくなっていきそうでとても寂しい気がする。 すでにヴィザを取得してインドに行く予定の方、 まだ日本にいるなら絶対に在日本インド大使館領事館に問い合わせてから旅を始めましょう。 すでにインドにいる方は旅人からの情報収集、もしくは在インド日本大使館領事館に問い合わせを。 随分と、遠くへ
2010.03.15 Monday
日本を出てから約2ヶ月間、ほとんど日本の情報が耳に入らなかった。
インターネットをしていてもメールのチェックだけだし、 バンコクやシンガポールのように日本の雑誌が手に入るわけでもないし。 でも、昨日、久々に日本の新聞を読んだ。当日の新聞。 某Y新聞は衛星版新聞をタイで発行していて、その日の、日本の新聞が読めちゃうのです。 そしてこの新聞はこのヒマラヤの国の日本料理屋で読むことができるのです。 すごいよなー。 一面にアメリカとの核持込条約の機密文が存在していたと公式発表があったそうで。 なんでもありあり、な国にいると、そして私個人の考えだと アメリカ軍が駐留している国で「非核三原則」なんてただのきれいごとでしかないし、 それに政治家が言っていることなんて誰が信じるんだよっ!と思う。 「国民への裏切り」「信頼を取り戻す」なんて言葉が踊っていたけど、 役人や政治家が「信用される存在であるべき」と、望む日本というか 世論を持つ日本って、やっぱりすごい国だな、、、と思う。 ネパールでは只今信じがたい停電の日々が続いているわけだけど、 話をへし折って、簡単に説明すると、国がインドなどの国に支払うガソリンの代金をまったく支払わなかった、、、、のが原因だそう。 ガソリンを他国から購入して、人々は税金込みで月々の電気料金を支払う。 さて、その上がりはどこへ消えてしまったのか?? ブラックホールでも存在するのか?? ネパール人の友人に言わすと 「政治家の、スイス銀行の個人口座に眠っている」そうで。 そんな国だから人々は海外へ住む道を選ぶ。 自分の子供だけには、、、、と大金を叩いて留学をさせる。 もちろん、愛国心の強い人々なんだけど、やっぱりそれとこれとは別もの。 遠くの異国で愛国心を持ちながら、「まともな国」での生活を望む。 、、、、、まともな国ってどこにあるの?と私は疑問だけど。 「ふるさとは、遠きにありて思うもの」がここにもある。 お金を人にポン、と渡すときのやり方がインドネパール式になっているよ、と先日友達に指摘された私。 日本人に対してもそれをやっている自分にびっくり。 その指摘は、「日本に戻ってそれやったら大変失礼だよ」という意味でもある。 、、、、なんだか、随分と遠くへ、そして濃密な時間の中をさまよっていたんだな、と実感した瞬間。 あと3日で日本に戻ります。 ネパール、カトマンドゥにて
2010.03.13 Saturday
埃っぽさと排気ガスの量はインドと変わらないけど、
ここネパールの人当たりのやさしさと、穏やかさで心地よくクリスタル探しをしています。 インド人は無表情でじーーーーと外人を見つめるけど、 ここでは笑顔が加わる。これって素敵。こちらも思わず微笑み返してしまう。 インドでは眉間にしわ寄せていた私だけど、頬が緩む国、ネパール。 そんな穏やかな日々ばかりを送っているわけではない!! 現在、ここネパールでは、1日13時間の停電中。 「たまに、停電」でなくて、毎日毎日13時間電気が使えない!! いくらヒマラヤの国だと言っても、会社ではPCを使うわけだし、 空港会社ではオンラインでチケット発券をしているわけだし、 13時間、真昼間に停電だったら経済が、「混乱」を超えて 「破滅」するのではないか?と思うのだけど、まだ破滅してない。 ちゃんと独立国として、(なんとか)持ちこたえている。不思議でしょうがない。 こんなこと日本で起こったら、いくらおとなしい日本人だって 暴動くらい起こすだろう。100歩譲ってデモ行進くらいするはず。 でも、暴動が起こる気配なし。不思議だ。 もちろん、そこそこの会社やホテルでは発電機を持っていて、停電対応している。 でも、発電機には石油が必要なわけで、その石油はものすごく高いわけで、 必然的にすべての物価が高騰している。 だいたい2年前の1.5倍くらい、すべてのものが値上がりしている気がする。 、、、、大丈夫なんだろうか?この国。母国ではないけど、心配になる。 停電にも負けず、クリスタル仕入れのほうは順調です。 今回は質のよいネパール産のブラックトルマリンの原石に初めて出会えました。 そして前回と同様、アクアマリンも!! アクアマリンをリクエストしていただいたお客さま、期待をして頂いて大丈夫です。 本当にきれいです!! そして、、、、今回の大物、1.5キロ越えのスフィア(水晶球)は圧巻です。 ほんのりとスモーキー掛かったガネーシュヒマール産のスフィアです。 ちょっとだけ、仕入れるのに勇気が必要でしたが、 ただいま私のホテルの部屋でまったりと日光浴をしています。 高品質の、ネパール産カヤナイトもカボションも出会えました。 指輪やペンダントに最適な大きさですが、 今回は裸石のまま、帰国する予定です。 サファイヤやインディコトルマリンとはまた違う、高貴な光を放っています。 私自身、カヤナイトのブルーが大好きなのですが、どうしても条線の入るものが多いカヤナイトなので、 今までカボションやカット石は見送っていましたが、今回は胸を張ってお勧めできるひとしなです。 明日から仕入れもラストスパートです。 たくさんのクリスタルとともに、そしてヒマラヤの風とともに 帰国しますので、楽しみにしていてくださいね。 さて、再びカルカッタ
2010.03.07 Sunday
日々暑苦しくなってきたカルカッタに今朝到着。
南インドでの10日間、とにかく食べ物が美味しく、 1日4食、すべて南インド料理を食していたことに今更気づく。 「こんなに食べれないって!」とサーブされてた インディカ米さえもぺろりと食べている自分が怖い。 確実に自分がマサラ臭くなっているし、 そしてやっぱり美味しいといいながらも、炭水化物の取りすぎ!! 自分でそう意識してなくとも、体は素直なもので、 どうしてもチーズ、豆などのタンパク質モノが食べたくなってきているし、 大盛りフルーツサラダなんて、今朝から食べちゃっているし、 なによりもさっぱりと、酢の物が食べたい。ビネガー系。 南インド、人が良いのもさることながら、食べ物が美味しい。 ピュアベジタリアンレストランも北インドより多し、美味しいし、 そしてコーヒーがこれまた美味しい。 ベトナム以来だな、こんなコーヒーの美味しいアジア圏は。 北インドでは「タージマハールなんて見るより周りのインド人見ていたほうがよっぽど楽しいよね」という感じだったけど、 南インドでは、ただ口をぽぉーーーーと空けて、 南インド人の控えめな優しさを受け取っているとそれだけで幸せな気分になる。 本当に、「ひとつの国」とは言えない不思議な国です。 これからインドに行こうとしている人、最初のインドは南がお勧め。 慣れてきたころに少しずつ北上して難易度を上げていけばいいわけだし。 北インドしか知らなかった私は、相当インドという国に偏見の目を持っていたな、、、、と今回南を回って大反省。 ま、北は北で楽しいのだけど。 そんなわけで明日はもうひとつの脱力の国ネパールへ。 お仕事なので、脱力ばかりしていられないのだけどね。 最南端の地 カニャクマリ
2010.03.03 Wednesday
今回の旅の最後を飾る最南端の聖地 カニャクマリ。
インド洋とベンガル湾とアラビア海がこの地の海で合流する。 小さな町とは聞いていたけど、完全に脱力系聖地。 不意に「膝カックン」をされたごとく、すっと力が抜けていく、 ゆるゆるな漁村の町です。 ここで完全に力を抜いてしまったら、やばいぞ。 何日でもいや、何週間でも沈没してしまいそうな、ある意味危険地帯。 レストラン、お店は完全にインド観光客用なので、インド料理しかあらず。 これで外国人用のレストランなんかあったりしたら、、、、 本当に沈没しそう。 南インドに下りてきてから、蚊と南京虫とアリと戦い、 蒸し風呂のような「ちょっとはずれな」宿の部屋にしか泊まれず、 なんだか南の私はアンラッキーと思っていたけど、 このカニャクマリで、今回の旅で最高の宿の部屋にチェックイン。 海の見渡せる風通しのよい部屋、静かな環境、ベランダ、南京虫おらず、広々としたダブルベッドと部屋。トイレも臭くない。 これで350ルピー(700円)。 最高の部屋に泊まれて、まったりと緩やかに時間をすごす。 ここが今回、私にとっては最後の目的地。 ヴィヴェーカーナンダも放浪僧としてインド中を巡礼し、 最後のこの地にたどり着き、島とは呼べない、小さな浮き岩の上で 2日間、瞑想をして過ごしたという。 その2日間で、これからの彼の人生においての目的使命のビジョンを見た、そうで。 そして翌年、彼はシカゴの宗教会議に出席するために海を渡る。 彼がアメリカに渡り、彼の師であるラーマクリシュナを世界に知らしめなければ、 ベンガルの神の化身に感銘を受け、今回こうやって彼らの軌跡を たどるような旅をすることはなかったと思う、私。 なんだかヴィヴェーカーナンダも苦しい放浪生活の挙句、 この地にたどり着きちょっと脱力しちゃって、 その力の抜けようが、いいように作用して、将来のビジョンを見ることが できたのではないかなぁ、、、、なんて思ったりして。 そのくらい、気合の入っていない、ゆるやかな聖地。 南の、3つの海が見渡せる、この地で私の聖地巡礼は終了。 いろいろ書くことはありますが、帰国してからじっくりと 今回訪れた聖地について書きたいと思ってます。 ポンディシェリーにて
2010.02.28 Sunday
昔のフランス植民地、ポンディシェリー。
今日と明日はホーリーというヒンドゥのお祭りなんだけど、 ここはホーリーのホの字もなく静まりかえってます。 ベトナムの、どこかの一都市に来たような、 フランス色の残る町。 さて、南インドに下りてくると、人の顔つきが変わることにびっくり。 全体的に小柄だし、女性もそれほど太っていない。 丸顔で鼻もそんなに高くなく(それでも高いけど)、 頭が禿げて、めがねを掛けているおじさんがみんなガンジーに見えてきてしまう。 ヒンディ語まなりの英語にはなれているはずだけど、 ここ南インドの英語は聞き取ることが難しい。 何度も聞き返して、怒られる、、、、、 旅人一年生状態な私です。 明日はインド最南端に向けて20時間移動です。 それでは。 南インド、南下中
2010.02.26 Friday
列車とバスの移動合計時間31時間なり。
やっとマドラスに到着して、ポンデシェリという街に着きました。 いい歳をしてこんな移動をするべきではない、と痛感。本当に。 南インドは、ベンガルよりも、人がさらに穏やかです。 移動疲れで頭が回りませんので、今日はこのへんで。 安否のご報告まで。 カルカッタから南下、プリー
2010.02.22 Monday
新しい街に到着すると、いつも思うのが、今日から一緒にご飯を食べてくれる人がいなくなっちゃって、
新しい出会い−−−が訪れるまでどうしても「ひとりご飯」をすることが多くなる。さすがにひとり夕ご飯が続くと少し、寂しさも感じる。 さて、カルカッタではどうなるのだろう? デリーからカルカッタまで、同じ車両に外国人の姿はなく 前回宿泊した某ゲストハウスにチェックイン。 シャワーも浴びて外出しようとすると私を呼び止める声がする。 ハテ?カルカッタには友達は来ていないはずなんだけど、、、、、、 私を呼び止めたのは、夜行列車の中で同じコンパートメントだったバングラディッシュの家族たちだった。 パパ、ママ、と20歳前後の娘さん、そして9歳の弟。 列車の中で、会話を試そうと思ったのだけど、この家族、いまいち話に乗ってこない。 「ご飯がくるよ」「シーツはここ」など、世話してくれるのだけれど積極的な会話はなし。 どうやら外国人(私)とどうやって接していいのか分からない模様。 家族同士の会話も途切れがちになってしまったので、遠慮して アッパーベッドに上がって、そのまま寝てしまう。 そんなバングラディッシュ家族はなんと私と同じ宿に宿泊していた。 「2度会えばもう友達」そんなことわざがあるのかないのか知らないけど 旧友に再会したように、やたらとフレンドリーに接してくる。 「今晩、夕ご飯を一緒に食べよう」そのお誘いから始まって 結局一緒に観光したり、家族の友達のバングラディッシュ人と話をしたり ママからはピアスのプレゼントをされたり 私はインドにいるはずなのに、なぜかバングラディッシュ人に囲まれた カルカッタの2日間。 出発の日、私の列車は夜の22時でゲストハウスのチェックアウトは12時。 「宿代を払うのは勿体ないよ。荷物は僕たちの部屋で預かってあげるから。」とありがたい申し出を受ける。 早朝からお寺で瞑想し、12時ぎりぎりに宿に戻りシャワーも浴びずにチェックアウト。 部屋を訪ね、荷物を置かせてもらおうとすると、、、、 「さあさあ、子供たちの部屋を使って、夜までゆっくりしてきなさい」 (この家族は二部屋を取っていて子供たちの部屋にはベッドが3つある) すでにホテルのマネージャーにも話は通してあるので、 好きなように部屋を使ってよし。自分たちも外出しちゃうことがあるので 鍵はフロントに預けておいてくれればいいから。 なにか問題あったら、すぐに携帯に電話を入れるように。 ここのマネージャーとは昔からの付き合いだから大丈夫。 知らない間に全てのお膳立ては済んでいる。 そんな訳で好意をありがたく受けましてバングラディッシュ人家族のお部屋で居候。 シャワーも浴びてなかったし、夜までどうやってすごそうか?と考えていたので、とても嬉しい申し出。 別れ際、 「私たちはバングラディッシュの叔父さんと叔母さん。今度はバングラディッシュにいらっしゃい。絶対いらっしゃい。」 ママからはニューマッケットで購入したであろうお財布とバングラディッシュのコイン、パパからはカレンダー、娘さんからはバングルを頂く。 なぜか濃密なバングラディッシュコネクションの中にすっかりと浸かった2日間。 うん、いつか、バングラディッシュに、この家族を尋ねていくのもいいな。 ベンガル人のやさしさ、そして穏やかな光を感じた2日間でした。 カルカッタ、ドッキンネーショル
2010.02.20 Saturday
デリーから18時間掛けてカルカッタに到着。ここはベンガル。
今回、カルカッタ訪問の目的はただひとつ。 ドッキンネーショルというお寺とベルールマトというラーマクリシュナミッションの本部へ行くこと。 ハルラー駅に着いた瞬間ベンガルのねっとりとした空気が体を包む。 私はこのベンガル地方の穏やかな光と(排気ガスはすごいけど)なんともいえない心地の良い空気が大好き。 古きよきイギリス植民地時代の面影が色濃く残る街。カルカッタ。 何処に宿を取ろうかな??列車を降りたときは色々と考えていたのだけど タクシードライバーに行き先を聞かれると思わず 「ドッキンネーショルまで」と口から出てしまう。 ラーマクリシュナが生涯のほとんどをすごしたお寺。ドッキンネーショル。 そのお寺は、、、私にとっての本当の聖地のような場所。 キリスト教徒がエルサレムに巡礼するがごとく、 仏教徒がブッダガヤを初めとする聖地に訪れるがごとく、 ムスリムがマッカ巡礼をするがごとく。 今までたくさんの本を読んできた。その本の中の、あの場所に行ける自分。 行けるだけの飛行機代と時間を与えられたことに感謝。 とても大きなお寺でそのガンガー沿いの隅のほうに、 ラーマクリシュナのお部屋はあった。 この、小さな質素な部屋に、若かりしころの弟子が集い、 ヴィヴェーカーナンダに涙しながら再び尋ねるように言い、 歌い、踊り、語り、「M」がその言葉を日々記録し、世に出した。 「とても質素な部屋」とは聞いていたのだけど、 本当の本当に、私の心を捉えた書物の出来事が、全て、ここで起こったんだ。 感動で涙がポロポロ、、、、そうなるだろうと想像していたのだけど、 予想に反した言葉が私の外側からやってくる。 「どんなときでもその心の中に信仰心を持ち続けること。 その心の中の輝きを生涯保ち続けること。 一時たりともその光から離れないこと。 聖なる土地を巡るよりも遠い場所のどこかへいくよりも、 それがなによりも大事なこと。」 何年も掛けてたどりついた聖地でそんな言葉を聞くのは予想外だった。 わかりました。約束します。 この光から離れないこと。 私にとって、この地球上でもっとも聖なる場所で この光を生涯保ち続けることを言葉を発した存在に、私自身に約束する。 がむしゃらに、「有名な聖地」「誰かにとっての聖地」を訪れる必要はないのかもしれない。 なんか、今回の旅で聖地巡礼だとか言って、色々な場所に 「絶対に行かないと」と少しだけ気張っていた自分に気付く。 翌日ベルールマトを訪ねる。 本部なんだから当たり前なんだけど、とても大きな敷地。 ここにあるラーマクリシュナ博物館は本当の本当に必見です。 本人の使用した食器、靴、衣服、、、、などが展示されていて、 本の中でしか知りえなかったその人が、本当の本当に、この世に生まれ、 生きていた−−−−私たちと同じように−−− そのことを、いまさらながら実感する。 そして、同じ地球に、国は違うのだけれど、遅ればせながら生まれてきて 舞台のスケールはまったく比べ物にならないほどの大きさだけど、 人として学び、涙し、笑い、生きる目的を手探りで探し続ける、 そんな機会が与えられたことに深く感謝する。 さて、私の今回の大きな3つの目的のふたつ、 クンブメーラに行くこと。 ドッキンネーショルに行くこと。 この二つは達成されました。 残る1つこれからもっともっと南下していく予定です。 本日カルカッタから南下して只今、オリッサ地方プリーにてブログを書いています。 読んでくださっている皆様、寒い日本に居られると思います。 私は汗だくでこのブログを書いています。 爪が真っ白く見えるほど、日焼けしています。 イッちゃった人の話
2010.02.17 Wednesday
旅友達とご飯を食べていたときのこと。
一人の身なりのよろしくないインド人が旅友達に突然話しかけてきた。 なぜか途中で、会話がドイツ語となる。 私には少しの単語しか聞き取れない。 どうやら「私は○○で、、、、」と自己紹介をしだして いくつかの地名と「アメリカ、アメリカ」という言葉だけは聞き取れた。 旅友達はその都度「ワオ、それはすごいな」と相槌を打っているのだけど、 目で「こいつ、やばいぞ」と私にアイコンタクトを送ってくる。 突然、レストランの従業員が、そのインド人に食ってかかる。 「無理に話に付き合わなくてもいいから。嫌なら追い出すからね」 、、、、どうやらお店の人にとっても「お客さま」ではないらしい、このインド人。 「いや、僕はまったく構わないよ、会話を楽しんでいる」 この旅友達、いい人である。紳士である。 15分ほど、一方的なドイツ会話が済んでインド人は去って行く。 「あの人、インド人なの?ドイツ語話していたよね。」 「ああ、びっくりだよ。完璧なドイツ語だ。でも、話はクレイジー」 その会話の内容とは、 自分はケララ出身で、若いときにオーストリアで法律の仕事をしていた。今は路上生活をしている。でも先日アメリカ大統領から招待を受けて、アメリカに行く。航空チケットも送ってくれるので、それを待っているんだ、、、、 たしかに「ワオ、それはすごいな」の話である。それが本当なら。 「でも、なんであなたがオーストリア人だってわかったの?」 「多分、僕達の会話を聞いていて、ドイツ語なまりの英語だったから、わかったんだと思う。完璧なドイツ語だったよ。 だからオーストリアで住んでいたのは本当のことだと思う。 でも、、、、、きっと彼の人生の途中で 何か が起こったんだろうね、、、、、」 ケララ出身で、若かりしころにオーストリアで法律の仕事についていて、完璧なドイツ語を話し、ミスタープレジデント オブ アメリカから航空チケットが届くのを待っている路上生活者のインド人。 彼の人生でいったいなにが起こったのだろう? sometime,something happen(ときどき、なにかが起こる) それが人生というものなんだけど、その結末はあまりにも悲しすぎる。 そして、私には想像もできないようなことが、彼の人生において起こったのは確か。 でも、それは、私にも起こるかもしれないこと。 人生の恐ろしさというものを間近に接して、この日は本当に眠ることができなかった。 今晩もデリーの青空の下で、チケットが届くのを待っているのかな? そして、ドイツ語なまりの英語を耳にすると話しかけて、 同じストーリーを、ジャーマンスピーカーに話しかけているんだと思う。 「本当に、アメリカ大統領から、チケットが届くといいのに、、、」 そんなことは絶対に起こらないとわかっていても、 なんだか願わずにはいられない私。 死ぬかと思った話
2010.02.17 Wednesday
今回、インドにきて驚いたのは、インターネットをするのにも
パスポート提示が必要で、宿帳のようなノートに名前、パスポート番号を書き込み、 パスポートのコピーまで取られること。 もちろんホテルのチェックインの際もパスポートのコピーを取られる。 「コピーしてくるのでパスポートを預かります」 インドで一度自分の手から離れたものは二度と帰ってこない大原則があるので、このシステムにとても違和感を覚える。 出し入れすればするほど紛失の確立は上がるわけで、 両替、航空券の購入以外はできるだけパスポートはお腹の マネーベルトの中にしまっておきたい、、、、、しまっておきたいのだけど、 やっちゃったのよ!パスポート紛失!! さぁ、宿をチェックアウトしようと、最後の確認でマネーベルトを 触ったら、なんだか薄い。、、、、、 パスポートだけが消えている、、、、、 航空チケットもクレジットカードもある。 でも、パスポートだけがない!! もちろん、あせる。昨日の夜にはマネーベルトの中に存在していた。 とにかく、今朝から歩いていた場所、立ち寄ったお店に一軒一軒尋ねて周る。 朝の8時にはお寺に行って瞑想していたので、お寺にも寄ってみる。 あいにく今日は特別なセレモニーがあって人でいっぱい。 今すぐに探すことはできないので、今日の夜か明日、来てほしい、とのこと。 まずいぞ、相当まずい。今日の夜にはカルカッタに向けて出発なのに。 「パスポートを亡くした」そんなこと、誰にも言えないよ、、、、 そういえば昨日の夜、旅人友達と夕ご飯を食べたな。 そのレストランにも行ってみる。 ちょうと、一緒にご飯を食べた旅友がお昼ごはんを食べていた。 「ハイ、アヤ。元気?」 「I am not fine.実はね、パスポート失くしちゃったのよ」 「oh,aya,,,,F○○○ing !!」 、、、こういうときも、F四文字を使うんだ。なるほど 昨日チケットを買ったときはパスポートはあったこと、 さっきチェックアウトしようとしたらなくなっていたこと、 詳細を話しているうちになんだか自分のアホさかげんが可笑しくなって、笑いがこみ上げてくる。 oh,aya,,,,F○○○ing !!を連呼しながら友達も大笑いしている。 「ま、パスポートがなくったってインドにはいられるわけだしさ。 ヒマラヤの山奥の村にいれば警察もこないし、シャンティシャンティさ」 「で、私、一生インドで生きるわけね。悪くはないかも。ハハハ」 「それかさ、貨物として日本に帰ればいい」 「コンテナの中で数ヶ月過ごすの?つらいな。」 「じゃ、アヤをパーセル(小包扱い)で白い布に包んで送ってあげる。発送料金くらいはぼくが払ってあげるから」 「フェデックスで送ってもらえると助かるな。3日で日本に着くし」 「いや、DHLのほうがお勧めだよ。ハハハ」 こんなとき、バカ話をして笑い飛ばしてくれる友達がいてくれて助かる。 「とにかく、今日のカルカッタ行きのチケットをキャンセルしてきなよ」 しかし、パスポートの本人確認がないと、キャンセルさえもできないのである。 本当に紛失してしまったら、家族に連絡取らないといけないし でも、パスポートがないと、インターネットカフェでメールも送れない。 両替だってできないのである。 「メールだったらさ、一緒にネット屋に行ってあげる。僕のパスポートで、2人で1台使うことにすればいいし。」 「一時帰国証明書をもらうにも時間がかかるでしょ?現金は持ってる?」 一緒にバカ笑いをしてくれた挙句に親切な申し出ありがとう。。。 本当に本当に。パスポートって絶対なくしちゃいけないものなのだ、と痛感する。 「昨日の夜、インターネットしたって言ってたよね。お店に行ってみなよ。」 そういえば、ネットしてたな。どこのお店か覚えていない。 迷路のような小道を探しまくって、やっと昨日のお店がみつかる。 すると、、、、 あった!私のパスポート!! 単にお店の人がコピーを取ったまま、私に渡すを忘れちゃったのである。 私も返してもらったつもりで店をでちゃったのである。 本当に、本当に危険だ。旅が終わっちゃうどころかネパールの 仕入れに行けなくなるところだった。 インドを旅する皆さん。 インターネット屋は「たまたま通りすがった店」ではなく、 宿の近くの、いつも決まったお店を使いましょうね。 そして、頻繁にパスポートの確認を。 祭りのあと。ただいまデリー
2010.02.15 Monday
昨晩遅くにデリーに戻ってきました。
ハリドワールは、バラナシと比べるととてもきれいに保たれた聖地。 河でウンコする人も、洗濯する人も、洗髪する人もいない。 牛の死骸も流れてこないし、野焼きもしてない。 毎日のようにガートに行っていたのだけど、 アシュラムの前を通ると「私たちのブリサート(お供物)です、どうぞ」と つぼの中の液体を手のひらに落としてくれる。 「さあ、飲んで」と言われてもちろん飲む。 ああ、これって甘い蜜かと思ってたけど、ただの水なんだ。 、、、、、、、ただの水、それはガンジス河の水、、、、、、、、 この日を境にあらゆるところで、お寺でアシュラムで川沿いでガンジス河の水を飲む私。 友達のためにミネラルウォーターのボトルにガンガーウォーターを汲んできたのだけど、 翌朝見たらボトルの水が減っている。 真夜中に妖精さんが来てこの聖なる水を飲んじゃったのかしら。 でも真夜中に喉が渇いて枕元の水を飲んだ記憶が、、、、 妖精さんではなく、私です。ガンガーウォターを飲んだのは! 、、、、200mlほど。 抵抗力が付くってすごいな。下痢ひとつしなくなった私の体。 シバラトリの日は沐浴もしたし、体の外から、内臓の中も、ガンガーウォーターに浸されて至福な私。 シバラトリの沐浴の光景は圧巻でした。 このクンブメーラの日々についてはいろいろと書きたいことがあるし、 写真もアップしたいのだけど、なんだかいっぱいなことがありすぎて 旅の途中から書くのは不可能。帰国してからゆっくり書きたいと思います。 ハリドワールで一緒にすごしてくれた人たち、本当にありがとう。 特に知り合ったばかりの一旅人の私にプライベートガートを提供してくれたスワミジー、 当たり前のように私を受け入れてくれた南アフリカのファミリー。 勝手のわからない私に懇切丁寧にいろいろ教えてくれたラーマクリシュアミッションのスワミジー 言葉が通じなくてもあなたからたくさんのことを学ばしてもらいました、裸のサドゥ 最大の敬意と感謝をささげます。 今回の聖地巡礼、三大目標の1つは無事に完了。 あさっての朝、2つ目の巡礼地カルカッタに到着します。 ハルドワールクンブメーラ
2010.02.06 Saturday
みなさまこんばんは。
あたまがわるくなったのではなく、ここのPCがかんじげんかんできないので すこしまぬけなぶんしょうになっています。 このブログにクンブメーラけんさくでたずねてくれるかたがおおいので げんちからクンブメーラじょうほうを。 やはり12にちのシヴァラトリがいちばんのスペシャルデイだそうです。 10にちだか11にちに、ビッグ ババがくるようで、 まちじゅうにポスターが。 ダラムシャラ(じゅんれいしゃかんいしゅくはくじょ)もじょじょにできあがってきていて、のぞいてみると、ババたちがひまそうにねてます。 ぜんかいのクンブメーラで、「リュックせおってダラムシャラをたづねたらしゅくはくさせてくれた」というひとがいるので、 やどがまんしつなら、ダラムシャラもいいかもしれません。 ただし、オンナノコひとりのばあいは、ちゅうい。ちゅういというかすすめないです。 えきをおりてひだりてにあるきだすとハリキパイリです。 アリキバイリちかくの、メインロードとガンガーのあいだに いくつものダラムシャラがあります。 おそらく12にちにむけてたくさんのひとがそこらへんのあきちで のじゅくするとおもうので、オトコノコならなにもかんがえずに いっしょにのじゅくしちゃうのもいいかも。 メインのガートにはいるてまえでボディチェックがあります。 タバコ、ライターはもちこめないので、やどにおいてきましょう。 そしてなんだかわからないせいふくをきたひとが「ガートのメンテナンスのために」といってきふをもとめてきます。50ルピーだそうです。 りょうしゅうしょもはっこうしてくれます。 わたしはあさひをみにいって、10ルピーしかもってませんといったら それはすくないよ、、、、と、あきれられた。 これ、わたしのあさのチャイだいなのよ、わたしてもいいけど チャイがのめなくなっちゃう、、、、といったらみのがしてくれた。 でも、けっきょくあした50ルピーはらうことになるでしょう。 にゅうじょうりょうだとおもえばいいか。 そんなわけで、みなさま、シヴァラトリでおあいしましょう。 もういちど、いいます。 あたまがわるいのではなくて、PCがかんじへんかんできないだけなんです。 しばらく移動が続きますので、、、
2010.02.04 Thursday
ただいまお昼の12時14分。3時の列車に乗って、ハルドワードに行ってきます。
しばらく移動と仕入れのお仕事が続きますので、 昨日、今日と続けてまとめてブログを書いています。 ちなみにここデリーのインターネットの値段は1時間約20円デス。 3週間が過ぎてとてもびっくりしたのが、2年前と比べてすべての物価が上がっていること。 たった2年前、150ルピー(約300円)のシングルルームが倍になっているし、 バラナシカントメント駅からベンガリートラ(安宿街)まで 20ルピー(40円)で行けたのが今では60ルピー(120円)もする。 今回は妹子が一緒だったので、「観光」しちゃったため、 頻繁に両替をしている自分にびっくりだった。 そして、、、、インド第三の公害とも言える携帯電話!! 着信音のボリュームはマックスで、「チャンチャラチャンチャラ」と ところ構わず着信音のヒンディーミュージックが垂れ流し。 もちろん、インド人、声もでかいので、会話の声もマックス!! 昼間なら我慢できるのだけど、これを深夜バスや寝台列車でやられるのでつらい。 ついでにダウンロードしたインドミュージックをイヤホーンなしで、 電車やバスの中で聞いて、一緒に歌っているインド人多数。 そうそう、先日の寝台列車での出来事。 夜も12時が来ようとしているのに、向かいの席のインド人一人が バックからラップトップのPCを取り出した。 なんか、イヤな予感がするな、、、、と思っていたら案の定、 PCに落としたインド映画を、隣の2人のインド人と見はじめた。 (この3人のインド人は知り合い同士ではなく、偶然隣の席に座った、赤の他人同士です) もちろん、イヤホーンをつけるとかそんなのはなしで、 ボリュームはマックス。列車シネマのレイトショーがはじまる、、、、 コメディーらしく(私もアッパーベッドから覗き見したけど、なにが面白いのかわからなかった) 3人のインド人は「この人生の中で一番面白い」といわんばかりに大爆笑。 周りの寝ていたインド人もなんだ、なんだ、と起きだしてみんなして大爆笑。 寝ている人に気を使うとか、今は深夜なんだから、、、、という心使いはまったくなし。 アッパーベッドから覗いている私に向かって、 「おい、降りてこいよ。この映画すっげー面白いぜ、アハハハ」いっちゃっている。 、、、インド式「幸せのおすそわけ」 「僕がハッピーなら君もハッピー。イヤ、ハッピーでないはずがない」という思考回路が大人になって(大人になっても?)完全に出来上がっちゃっているのです、、、 真夜中に、インド映画なんて見たくねーよ、、、、なんて思っている人が存在するなんて、思いもよらないんだろーな。 なぜかと言うと「僕がハッピーなら、、、回路」だから。 周りのインド人も誰も注意しないってところがすごい。 そして、何度も何度も車掌や警察官が見回りにくるのだけど、その人たちも一切注意しない。 「お客さま、静かにしていだだけますか?周りのお客さまは寝ております」 日本なら間違いなく車掌が飛んでくるだろうし、 速攻周りの人間が注意するんだけど。それが当たり前なんだけど。 それが人としてのマナーであり常識なんですけど。 here is India(ここは、インド) 今まで何度も何度もマントラのごとくこの言葉を心の中で唱えてきたのだけど、 やっぱり新たなるこの公害に慣れるには少し時間がかかりそうな私。 愛すること、許すこと、受け入れること
2010.02.04 Thursday
前回の旅日記にも記しましたが、只今滞在中のニューデリーの安宿街の端に
ラーマクリシュナミッションがあります。 ヒンドゥのお寺は大事なお寺ほど、異教徒が入ることができないのだけど、 このラーマクリシュナが祭られているミッションは 如何なる人種、如何なる宗教の人間もオッケーという 万人に開かれたミッションです。 私は一日に朝夕と、このミッションの本堂で1時間ほど瞑想をしています。 朝はビジネスマンが、仕事かばんを脇に置き出勤前にひと時の礼拝と瞑想をしています。 瞑想するたびに、いろいろな感情が沸いてくるし、気づきがある。 それを全て記すことは不可能なんだけど。 昨日、心の中に浮かんだこと。 人生って短い。 大いなる流れの中での人生80年なんて、本当に小さな「点」しかない。 そんな「ほんの瞬間」のために生まれてきた私たち。 それにどんな意味があるのだろう? 今朝、その疑問の答えが返ってきた。 「愛すること、許すこと、受け入れること」 この点のような人生の中で学ぶべきことはとてもシンプルなことなのかもしれない。 生身の身体に滞在していなければ、学べないこと。 学ぶチャンスを与えてくれた創造主に初めて感謝の気持ちがわいてきた。 もちろん、人によっては目的なんてさまざまなわけなんだけど。 「愛すること、許すこと、受け入れること」 その言葉は私にとって啓示のように心に響く。 、、、、そんなこと言っても毎日、吹っかけてくるインド人と戦って「受け入れ」ちゃぁいないんだけどね。 妹子、帰国
2010.02.03 Wednesday
それなりにこの国を楽しんだ妹子、本日帰国。
あと1週間はなんとかなりそうだけど、やっぱり24時間いつでも どこでもホットシャワーが浴びれて、お肉とお魚が食べることのできる 日本が恋しい模様。そりゃそうだ。 帰国2日前、妹子は屁をこくつもりがウンコを漏らしてしまう、、、 という三十ウン年生きてきて屈辱的な状態に陥いる。 最初から最後まで、お腹がゆるかった模様。 こんな身内の情けない話、誰にも言うことができないので、ブログに記すことにする。 、、、、もう、本当に止めましょう、くそ話、、、、、、 バラナシで、ゴールデンテンプルに行ってきた。 行ってきた、と言っても境内に入ることができても本堂には ノン ヒンドゥな私たちは入ることができない。 バラナシ自体がヒンドゥ教の人々にとって大切な聖地であるわけだけど、 このゴールデンテンプルは、そのバラナシの中心のお寺。 こんなにライフル銃を持ったポリス(アーミーか?)がたくさんいるお寺は見たことがない。 絶対、絶対に失うことのできないお寺。 過去に何度かテロの標的に遭っている。 ボディチェックも厳しく、手荷物は一切持ち込めないし、 マネーベルト(腹巻き式パスポート入れ)の中も全てチェック。 女性のボディチェックは女性のポリスが行うのだけど、 インド人女性巡礼者は思いっきり乳揉まれていた。 私たちも揉まれちゃうの?と心配したけど、外国人には、さすがにそこまではしなかった、、、、 でも、ふくよかな人だと乳モミの洗礼を受けてしまうかも。 サドゥやババでさえも、ボディチェックを受けているのにびっくり。 ちなみに外国人はゲートナンバー2からしか、入場できないです。 境内に入って、黄金の屋根をちょっと垣間見て見たい方、ゲート2を目指しましょう。 充分満喫したバラナシを離れ、12時間の夜行列車でデリーに向かう。 列車の中では車掌のチケットチェックの他、 ポリスが一人一人外国人の所に来て告知の紙を渡して目を通すように言う。 1.いかなる場合でも他人に国籍を教えない。 2.パスポート、お金、IDカードなどは絶対に身体から離さないように 3.どんなに親切そうな人間が飲み物食べ物を勧めても口にしてはいけない。 (3.は睡眠薬泥棒のことです。) そういえば、この列車、駅に止まるたびにライフルを持ったポリスが 外国人のいるコーチに見回りにくる。 そして、停車すると必ず駅構内から「チャイはいらんか?」「カレーはいらんか?」と地元の売り子が乗ってきて商売をするのだけど、 この列車は、インド国鉄職員の制服をきた売り子しかやってこない。 まぁ、なんて安全な路線なのかしら。バラナシ、デリー間。 、、、、、、じゃなくて、セキュリティが厳しいだけ、アクシデントが多い リスキーが路線だってことじゃないのよっ! 治安の面ではあまり守ってくれそうにないインドのポリスが ここまでするなんて、本当に被害多発の路線かのかも。 そんなわけで、「ひとり旅」が本日からはじまりました。 明日からハルドワールに行ってきます。 PS ルビーリングをリクエストしていただいたお客様。 質のよいルビーをたくさん見ることができるよう只今調整中です。 只今業者からの連絡待ちです。 個人アドレスはセキュリティ上、旅用アドレスには入っていないため ブログにて失礼いたします。 バラナシの続き
2010.02.01 Monday
昨日、マニカルカートに行って野焼きを見てきた。
いつもいつもこの光景を見ると、私もいつかこうなっちゃうんだ、 精一杯生きよう、できる限りのことをして行こう、と思う。 数年に一度、この光景を見ているのだけど、毎回毎回心を新たにする私。 初めて「人間の野焼き」を見た妹子は、その晩なかなか眠りに着くことができず、 「変なもの、連れて帰ってきちゃったかしら?」と不安な夜をすごしたそう。 翌朝、同じ宿に泊まる旅人が、「満月の晩はいつも寝付きが悪い。昨日も満月だったしね」と言っていた。 妹子よ、ヘンなもの連れて帰ったのではなく、きっと寝つきが悪かったのは、満月のせいよ。そういうことにしておこう。 満月の夜のプジャはとても美しかった。 何千年もの間、毎晩行われているプジャ。 ここがなんでもない土地であっても、これだけ厳粛に、大勢の人が集まって 祈りをささげていたら、「なにか」が生まれても おかしくはないだろう、、、と私は思う。 特別な場所が、人々によって守られ、そして未来へと続く。 インドの奥深さを実感する瞬間です。 バラナシ
2010.01.31 Sunday
バナラシにあるアーナンダーマイマーのアシュラムに本日行ってきた。
日本ではほとんど知られていない聖女で、情報も少ないのだけれど、 私の滞在している宿から歩いて20分ほどのガンガー沿いにあるらしい。 地元の人に聞きながら、やっと到着。 中心地から少し、離れるだけで急に英語が通じなくなる。 あまり、外国人が訪れないのか静まり返ったアシュラムだった。 門番らしき人が、隣の建物の二階に案内してくれる。 そこにはマーの写真とゴーパルが祭られているお堂。 僧侶の方が身振り手振りで、「しばらく瞑想ていていいから」というので、有難く鍵を開けてもらう。 本堂は私ひとりの瞑想の空間。こんな贅沢ってあるだろうか? マーとゴーパルと私だけ。信じられないシチュエーション。 気がつくと私はマーに必死に訴えている。 学ぶべきことを、すべて学ばしてください。 この先、幸せな人生でなくてもいい、過酷な人生でも構わない。 ただ、今生で学ぶべきことをすべてを学ばせてください。 それまで、この身体から「私」が去りませんように。 そして、二度と、生まれ変わりませんように。 いつからか心のどこかで、「学ぶべきことをすべて学びたい」とは 思っていたのだけど、 それを自分の外に訴えたい、という感情を持っていた自分に驚く。 多分、1時間ほどの瞑想だったと思う。 インド人の信者さんたちが階段を登ってくる音で、瞑想は終了。 突然訪れてきた私のためにお堂を開けてくれた僧侶の方に感謝。 途中から、礼拝にきたもう1人の僧侶の方も大変親切にいろいろと説明をしてくれた。それにも感謝。 アシュラムの責任者の方とはいまいち会話が成立しなかったけど、 暖かいまなざしがとても印象的だった。 幸せな一日。インドのバラナシ。 アグラーそしてバラナシ
2010.01.29 Friday
妹子を連れての旅も後半に来ています。
27日の早朝にアグラーに着いてタジマハールを見て その日の夜行列車でバラナシに到着。 タジマハール、インドで一番高い入場料なんですって!1500円。 妹子はもちろんのこと、私も始めてのタジマハールなんだけど、 ふたりして白亜の墓を見てもなんだかテンションあがらず。 1時間もしない間に、もういいか、タジマハール、、、、と言う感じ。 多分、街中のインド人見ているほうが、「すごいぞ!」と楽しめるからなのかも。 アグラで時間があまりすぎたので、マトゥラーに行く。 クリシュナ生誕の地。聖地です。 ここで今回初のインド人と喧嘩となる。 有名なババだかなんだか知らないけど、お金の話ばかりでプッツリ切れる私。 日本でもどこの国でもスピリチュアルビジネスって盛んだけど、 本家本元って、インドなんじゃないか??とこのババとの喧嘩で思った。 スピリチュアルビジネスが悪いわけではない。 ただ、聖者や僧侶のふりして「結局はビジネスマン」ってのがどうなのよ??と思う。 マトゥラー、ブリターバン自体はとてもいい土地でした。 外国人相手のお店もなく、バラナシのような迷路の入り組んだ町。 細い路地から幼いクリシュナがひょっこり飛び出してきてもおかしくない、 そんな特別な(聖地だから当たり前か)が空気が流れている空間でした。 プシュカルの続き
2010.01.23 Saturday
どうもインドを旅するとなると、話題がどうしても牛の糞か自分の糞の話になりがち。
そんなわけで今回も下痢話となりますので、気分を害さない人だけ読んでください。 妹子が今朝から再び腸内洗浄という名の下りっ腹。 私も少々、下ってマス。、、、、なんだかこれって究極デトックスなのでは?と思えてしまうほど、腸内洗浄に励んでおります。 でも、日本の病院に入ったら間違いなくカルテに 細菌性大腸炎って書かれるでしょう、、、、 妹子、額が痛いらしく「なんかここにオデキでもできてない?」と指差す箇所は、 あら、いやだわ、そこって第三の眼じゃない。 腫れてもいないし、赤くもなっていないけど、痛むらしい、、、、、、 そのうち、そこからもウンコ噴出すんじゃないの???? マーライオンみたいにさ。 ここはインドなんだから、そのくらいのミラクルが起きてもおかしくない。 誰も、素敵とか、うらやましい、とか言ってくれないと思うけど。 糞話終了 聖地プシュカルはたくさんのババが路上で寝ております。 夜になると、焚き火なんてたいちゃって、できることならその灯に当たってみたいな、、、、といつもそばを通り過ぎるときに思う。 牛も。犬も。サルも路上に寝ています。 ラクダがゆっくりと歩いています。 聖地プシュカル。沈没地プシュカル。 明日はぐるっと湖の周りのガートをふらふら歩いてみようと思います。 プシュカル、プシュカル
2010.01.22 Friday
何で今まで来なかったんだろう?プシュカル。
バラナシが混沌とした聖地なら、ここはさわやかな風が吹く聖地。 今は乾季で湖が干上がっているのは残念だけど、それにしても 穏やかな聖地。 この土地は聖なる湖から半径数キロの範囲では、肉魚卵を食べることのできない聖地。 リシュケシュと同じですね。 メインの通りはネパールのタメルと良く似ている。 きっと昔はこんなに外国人が来てなくて、もっともっと 質素なインド人のためだけの聖地だったんだろうな、、、、 上ること30分の山の上のお寺に行ってきました。 ご本尊をお参りして降りようとしたら、端っこにドゥルガーが祭られていた。 昨日この地に来て初めてみたこの山、「ああ、私、この山に会いにきたんだ!」と感じたのだけど、 まさかドゥルガーも祭られているとはね。 シャンティーな聖地です。 しばらくこの風に吹かれます。 旅の連れ
2010.01.20 Wednesday
基本的には人と一緒に旅するのが苦手な私。旅するときくらいは勝手気ままに、予定を決めずに旅したい、、、、そんな私が
今回最初の3週間だけ、一緒に旅することになったのは、妹。(妹子と呼ぶことにします。) 年末に仕事をやめた妹子。私のインド行きを知ると、いいなぁ、、、、行きたいなぁ、、、と、暗に連れて行ってよ!という独り言を言い始めた。 昨年から何かと恩着ることがあったので、じゃぁいいよ、全行程はだめだけど、最初の数週間なら、、、、、と、妹子と旅をすることに。 初インド、英語はなぜず、個人旅行は未経験、、、、彼女はどんな反応を示すのだろうか?このインドで。 それが、ちょっと楽しみだった私。 お約束通り飛行機が1時間遅れてデリーに夜の9時に到着。 空港から宿までのタクシー移動、宿周辺をプラプラと散歩、、、、 到着してほんの数時間の間で、街を闊歩する牛、象、野良犬、、、、 すべてがなんなんだ、これはっ!の世界に、えらく興奮したよう。 長時間のフライトで疲れているはずなのに、能みそからはアドレナリンらしき分泌物が放出しているらしく、眠れない妹子。 最初のデリーの晩は、睡眠薬を飲んで就寝。 デリー到着2日で、二人して、インド洗礼水下痢にかかる。 私は発熱下痢で済んだけど、妹子は嘔吐を伴う三重苦。 原因は昨晩食べたターリー(定食)。地元民も並んで食べている店だったので、大丈夫かと思ったのだけど、どうやらインド2日目の人間には無理だったのかも。 丸々24時間で症状も収まり、その日の晩はウダイプルに移動。 病み上がりで夜行列車も大変だと思うけど、 すべてのことが初めての体験らしく、現在1週間目で、 きっと体疲れているのだろうけど、楽しさのほうが上回るらしく 文句もなく、旅を続けてます。 そんなわけで明日は聖地プシュカルに移動します。 そんなわけでただいまデリー。
2010.01.16 Saturday
昨日、南インドでは皆既日食でテレビとニュースではその話題で持ちきりでした。
■ニューデリープチ情報■ デリーの最難関、インデラガンジー空港のプリペイドタクシーカウンターが変更になってます。 今までは出口を出て右手にあったカウンターは閉鎖しており、 右手に行くと、小さな箱店がいくつかあり、一番最後の箱店のようなのが、プリペイドタクシーのカウンターです。 魔のインデラガンジー空港なので、”タクシーカウンターは変更になった’と言われても信じられないでしょうが、 本当に変更になってます。ガイドブックの空港見取り図と異なりますので、パニックに陥らないでね。プリペイドタクシー代250ルピーは同じです。 大した用事もないのに、3日間もデリーに滞在していまった、、、 2日目にしてインドの洗礼、水下痢発熱に遭遇。 まる1日、ベットとトイレの往復なり。 ニューデリー駅で、ババ(遊行者?)に声をかけられる。 ヒンディー語わからないのに、話かけてくる。 どうやら、クンブメーラに行きたいけどお金がないので、100ルピーちょうだい、、、、ってことらしい。 10ルピーだけあげた。 あとになって考えれば、100ルピー(200円ちょっと)あげても良かったかな、、、、と思った。 クンブメーラに行きたいってのが、ちょっとだけ心に響いたぞ。 バクシーシとしては高額だけど。 本当にクンブメーラに行くのかなぁ、、、、携帯のパケット代とかの支払いに使っちゃうんじゃないかなぁ、、、 今となっては本当はどうなのよ??って感じだけど。 それにしてもあれだけ広大なニューデリー駅で、なぜ私に声をかける?ババよ。 少々やみあがりで、乱文となってますが、こんな感じで少しずつ書いて行きます。 |




























































